上の写真は、隅田川にかかる吾妻橋近辺で都鳥(ユリカモメ)を撮影したものです。
この辺りは私が生まれる何十年も前に2度の惨禍に巻き込まれ阿鼻叫喚の様相だったそうです。 もっともっと以前の江戸時代以前に遡れば、同じような惨禍が繰り返されてきたのでしょう。 3月の東京大空襲、9月の関東大震災の日には両国で記念式典や法要が行われますが、 その度に、惨禍に巻き込まれた方々を想い今の平和なこの地がある事を感謝する気持ちになります。
2011年には東日本大震災も起こりましたが、幸いにも東京は一部で液状化などが起こりましたが 甚大な被害までには至りませんでした。
今年になって関西での地震や台風による被害、と思っていたら北海道での見た事のない 地滑り後を見る事になるなんて、昨日起きてTVをつけるまで予想もしていませんでした。
その前日ブーちゃんの事を考えていた。
9月5日に、ある事がきっかけで小学校の同級生の事を考えていました。 それは「早生まれの子供時代の遅れ」について考えていたからなのですが・・・
私は2月生まれで、いまでもいつでもパッとしない頭の出来ですが(≧▽≦)小学校までは なおさらパッとしない成績でした。 しかし同じクラスの私と3日誕生日が早いだけのブーちゃんというあだ名の男の子は その頃から成績が良かったな~と思い出していたのです。 誕生月が同じだからなのか、度々同じ班になって仲も良かったのでした。(優しい子でした)
高校の卒業前後に風の噂でブーちゃんは旧七帝大(私の頃はそう呼んだものです)の医学部に ストレートで合格したと聴きました。 「ブーちゃんも、この年代ならば偉いお医者さんになっているのだろう」とそれで思い立って、 ネットで調べてみたのです。
すると該当する名前が出てきました。誕生日も記憶と同じです。 しかし、なんと、なんとお医者さんになっていると何十年と信じ込んできたのに、 北海道電力の取締役に名を連ねていたのです(@_@)
学歴も旧七帝大は正解でしたが法学部卒と・・・ 約一名の誤情報で数十年、信じ込んでいたのですが。
子供たちにかくかくしかじかとLINEを送りました。 「何十年も勘違いしてたわ~十分に偉いんだけど、なんだかガッカリ😞」と。
これは医学部の方が偉いとかではなく、何十年もの記憶が覆された事にがっかり。
でもまあ、やはり子供の頃に優秀だった子は、大人になっても偉いんだわ~と 妙に納得したのでした。
そして昨日の北海道で起きた地震・・・電力の供給が道内のほぼ全域で途絶え、 全ての復旧にはかなりの時間がかかると知り「ブーちゃん大変だろうな~」と思いました。
いつも苫小牧に行くとお世話になっている小料理屋のママさんに電話を入れたら、 停電で冷蔵庫や冷凍庫に入れている食品がダメになってしまうと話されていましたが、 北海道の経済に多大な打撃でしょうね停電が長引くと。
その様な実際的な地震の損害を受けてはいなくても生活に支障が出る被害者は たくさん、いらっしゃるわけで国からの支援を願いますね~ 私達はTVで見る大きな被害に遭われた方々にしか目が向きませんが、この様に 2次的な被害を受けられた方々も、その何倍もいらっしゃるのですね~😢
ロシアンルーレットのようだとは考えたくないけれど・・・
土砂崩れの被害が大きかった厚真町で犠牲になられたご家族の映像と話を見ていて、 地震発生の前夜は普通の生活を、なにげない日常を送って気が付けば命は失われているという現実。
まだ何十人もの行方不明者がいらっしゃるけれど、その方達も夕飯のテーブルを囲んで TVで関西の台風の被害に心を痛めていた方も多かったと思います。 その時に、自分の身に迫っている命の期限など思いもせずに。無情な事実だな~と思わずにはいられませんでした。
しかし、それはまた私にもいえることなのですよね~この地球に生存している人類すべてに言える事なのですよね~
そして、大災害の犠牲者、著名人の逝去など大きく話題になり多くの方に悼まれるような哀しみだけではなく、 誰にも話題に上らない個人的な家族や知人の死も、当事者にとっては勝るとも劣らない辛い事なのです。
天災が多い国に生まれたリスクがあるから日本に生まれた不幸ではなく、他の天災の無い国でも 変わる大きなリスクも多く存在していますし、なにより死なない人間はいないので、世界中で毎日 悲しい思いをしている方々が数えきれないくらいいるわけですよね・・・ 揺るがない事実は「生まれたら死ぬ」という事です。
いつもいつもエポックな事が起きるたびに思う事ですが、くだらない心配や、くだらない事で腹を立てている自分は本当にくだらないと。 そんなくだらない事はさっさと、どこかに捨てて今日という、どこまで続くか分からない毎日を楽しい事だけに 費やそうと思いました。
私の尊敬するみうらじゅんさん式に「楽しい事を探すブーム!」で残りも少なくなった人生を、 傍から「ノー天気」と言われようと、そのブームの中で生きていきたいと思います。
人生のお師匠様に出会える幸せ♪
こう見えても(どう見えるんだよ~💦)子供の頃から「死」という事を考え続けていました。 小学校の頃、2度ほど入院生活をしたので同じ小児科病棟の仲の良いお友達の死を経験したからなのですが。 数日前まで、遊んでいた子が、夜中にガラガラという酸素ボンベを運ぶ音と、その後での家族の嗚咽を 暗い病室のベッドの中でドキドキしながら聴いていたその時の感覚は、いまでも鮮明に思い起こす事ができます。
突然、その生命を伴った実態が消えてしまう虚しさ。 その影響もあると思いますが、多くの子が望んでいるかもしれない家族や友達の誰よりも先に死にたい・・・ 心を寄せた人々に去られる悲しみを味わいたくないと考えていたものです。
ここ最近、糸井重里さんが運営されている「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載されていた余命を宣告されている カメラマン幡野広志さん(30代の方です)との対談「これからのぼくに、できること。」を読んで 残される者、去っていく者について沢山の示唆があり勇気をもらっていたのでした。
https://www.1101.com/hatano_itoi/
自分の余命が短い場合、親しくなった方との接し方に悩むと幡野さんが仰って糸井さんは 「ただ手を振ればいいのよ」と答えられた。 なるほどな~と。送る方も送られる方も、その悲しみすべて含めた関係なのだから「じゃあバイバイ」 でいいんだな~と心が軽くなりました。
実態は無くなるけれど、どこかに行った時、なにかをした時「あ~あの人と一緒だったらな~」と思った瞬間に、その実態は無ではなく、そこにあるのだと。 そう周りの人に思ってもらえる人間になりたいと思いました。 それには、いつも人生を楽しむ姿勢が必要なんですよね~
身近にも「人生を楽しむ」達人がおりました‼
何年も前に亡くなった「同じ校区ならば同級生だった」という関係のお二人です。 「どこのどなた様ですか?」というブログでのコメントのやりとりで始まったのでした~( *´艸`) まあ、間にはゴルフに関して尊敬すべき知識と記憶力をお持ちのミステリ作家さんがいらしたのですけれど。
音楽の趣味が同じ学年という事で非常に合い、その後はメールでやり取りをするようになりました。 その時は既に癌に侵されていて、ちょうどその時期、従妹も同じ病で苦しんでいたので、 何かできる事はないか・・などと思った物です。
しかし、その「何かできる事はないか?」が非常なご迷惑じゃないかとか、悩んだものでした。 生きる望みが無い人間に、何を言ってあげられるというのか? ただの自己満足にしかならないのじゃないか?とか・・・ これらは上でご紹介した「これからの、ぼくにできること。」で少し気持ちが楽になりましたが。
とにかく、その同級生の彼の旅立つ直前までの生きざまが、その後の私の勇気になったのです。 なくなる3日前までメールをくれて、そしてその日はやってきました。
私は近くにいないので、すぐにはその訃報が届きませんでしたが、 その日の、ちょうど彼が亡くなる時刻に彼からメールが来た夢を見ていたのです。
その後、すぐに、その親友の方(彼もまた同じ病気で数年前に亡くなられました)からメールを 頂き、入院中に彼から「かりーさんと約束しているCDの焼き直しがある」と聞いていたが、 家族は知らない事なので、それを送る事ができなくなってしまい彼に変わって申し訳が無いというメールで「やっぱり、そうだったんだ」と知ったのでした。
とてもつらい状況だったのに最後まで友達、恩師などと楽しく過ごした方でした。 亡くなる2日くらい前?に病室に来てくださった確か・・恩師の方々と病室を抜けて ご自分の大好きだった美味しいお店で飲んで楽しんだのですよね~
なんの役にも立たなかった事に対しても逆に励まされました。
病気が治るという奇跡の教会がローマにあり手紙を供えると願いが叶うというので、 ローマで彼らからの手紙をその教会のマリア像に供えた事がありました。
けっきょく病気は良くならず、申し訳なく思っていたのですが、彼は 「僕の手紙が今ローマの僕の知らない教会に届いている・・・という事だけでワクワクします!」と 仰っていただき、心が軽くなった・・・そんな人でした。
なので、なにかあると彼の愉快さを思い出し、最後まで愉快に過ごす凄さを教わったのです。
まさに「人生の達人、人生のお師匠様」でした。
だから楽しく生きてやる!!!
どの災害の時も感じる事ですが、今回も被災された北海道の方々の明るさに救われる思いがしました。
暗く電気も無い中で「北海道民はバーベキューが普通に行われているので、こういうのには慣れている」 と明るく外でバーベキューをされているご家族。
どのような時にも、小さな楽しみを見つけ出せる人は強いな~と感じました。
まだまだ、そのような心境になれない方も大勢、いらっしゃるでしょうけれど、それぞれが 小さな楽しみを見つけ前を向けるようになることを祈っておりますし、また私自身もそのような 人間になる事を目指したいと思っています。