新Y’sクロニクル

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カルパッチョの連作を鑑賞「Scuola di San Giorgio degli Schiavoni」へ【2019年ヴェネツィア&ウイーン旅行⑭】

自慢じゃないけど私は芸術への造詣が浅い(≧▽≦)
「教養としての美術」な~つう本を読んじゃう人間である。
いわば付け焼き刃で教養でもつけちゃおうと考えている人間である。

そんな浅い人間がカルパッチョとカラバッジョを間違えるのは必然なのであ~る‼
テレ東の「美の巨人たち」でカラバッジョの作品を見た事があった。
数奇な運命をたどった巨匠になりそこねたカラバッジョ。

今年も日本のどこかでカラバッジョ展が開かれている。

カラバッジョの作品を美術館以外で見られると、張り切ってやってきた
「Scuola di San Giorgio degli Schiavoni(サンジョルジュ・デリ・スキアヴォーニ同信会館)」

そこで見たのは、あのお料理のカルパッチョの語源になったヴィットーレ・カルパッチョの
絵画の数々であった・・・

サンジョルジュ・デリ・スキアヴォーニ同信会館 に辿り着くのは難しい~

カルパッチョも、もちろん初期ヴェネツィア派の巨匠である。
1500年前後に活躍した画家であるらしいけれど不明な点が多い画家でもあるらしい。

生の牛肉にパルメザンを散らした「カルパッチョ」は画家カルパッチョが好きだったからとか、
生肉がカルパッチョの生々しい画風を思い起こさせるので、カルパッチョという料理名にしたとか
で、画家カルパッチョより日本ではお肉やお魚のカルパッチョの方が有名だ。

その画家カルパッチョの「龍と戦う聖ジョルジュ」の連作がある サンジョルジュ・デリ・スキアヴォーニ同信会館 への道のりはハードルが高かった・・・💦

サンマルコ方面から サンジョルジュ・デリ・スキアヴォーニ同信会館 までの行き方!


カステロ地区にあり、私はヴァポレット駅サンマルコ・ザッカリアから歩きました。
地図でしっかりとルート検索し、迷わなければザッカリアから500m7分という事。
15分はかかっちゃったけど( ;∀;)
いや、同じところをグルグルしたから20分以上かかったかもね?

どんな細い通りでも通り名の表示は必ずあるけれど、運河の名前の表示が無いし、
小さな橋の名前も分からない場合も多く迷う原因だった。

サン・ザッカリア駅から2本の川を渡ります。
サン・ロレンツォ川とサン・アントニオ川。

S・ロレンツォ川にかかるカンピエッロ・デ・ラ・フラテルナ橋から見える
聖ジョルジュ・ディ・グレーチ大聖堂の鐘楼。
(グレーチはギリシャの意)

カンピエッロ・デラ・フラテルナ橋からの眺め


橋はカッレ・リオンという細い通りに続くのでS・アントニオ川方面に
真っ直ぐ通りを行くと・・・コメンダ橋があり、そのすぐ横が同信会館。

Scuola di San Giorgio degli Schiavoni正面

他のルートから来てもこの茶色っぽいホテルが目立つので、ホテルを見つければOK!

同信会館とホテル
すぐ前には「パラッツォ・スキアヴォーニ」という茶色のホテルがあります!

カルパッチョの作品に溢れる サンジョルジュ・デリ・スキアヴォーニ同信会館

さっそく中に入りましょう~
思っていたよりも、そこそこ見学者がいました。
色々な方のブログを参考にして入場料は7ユーロと思っていたら
なんと10ユーロに値上がりしていた(@_@)
おそるべしイタリアの観光資源値上げ作戦!

当初、不思議だったのはこの建物に二つの名前があった事。
この建物の公式サイトには「 Scuola Dalmata S.ti Giorgio e Trifone」とあり
トリップアドバイザーの案内にもそうありました。
しかしGoogleマップでは「 Scuola di San Giorgio degli Schiavoni 」となっており、
混乱しました💦

「 Scuola Dalmata S.ti Giorgio e Trifone 」とは聖ジョルジュと聖トリフォの為の
ダルメシア同信会となるのでしょうか?

ヴェネツィア独特の「同信組合」はいわばギルドと似ており、当初は同業者、同郷者が
集まって教会互助組織、慈善事業、国家への貢献などなどを組織する組合です。
「スコーラ」と呼ばれています。

ヴェネツィアの発展と共にスコーラを組織する市民も大変な財力を付け
同信組合は巨匠たちの絵によって飾られる事になりました。
ナポレオンによってほとんどのスコーラは解体させれましたが、
こことサンロッコは解体を免れいまでも組織されているそうです。

ダルメシア(主にスラブ系)とは現クロアチア近辺を指します。公式サイトによれば
アドリア海を挟んで対岸に当たるクロアチアはもともとローマ帝国の支配下だったので、
ヴェネツィアとは特別な関係にあったそうで、その人々がこの辺りに定住し
同信会を組織したらしいです。

「 Scuola di San Giorgio degli Schiavoni 」の「スキアヴォーニ」も現在のクロアチア近辺を指します。
年代的な変化なのか同じ建物を指しています。

この薄暗い同信組合の中に一歩はいるとカルパッチョの絵で埋まっています(@_@)

下の写真は有名な141㎝×360㎝の「聖ギオルギオスと龍」です。
ほとんどの絵はこのサイズでした。
ギオルギオスはジョルジュの事ですね。

聖ジョルジュの龍退治の絵
「聖ギオルギウスと龍」背景画はコンスタンティノープルと言われている。

「聖ジョルジュの龍退伝説」は似たような物語がキリスト教下ではあります。
異教の地で暴れる龍を「キリスト教に改宗する事」という条件下で龍退治に成功するという
内容です。
龍に捧げる生贄から逃れた当地のお姫様が右上に描かれています。

ジョルジュはパレスチナに生まれたギリシャ系の貴族の出身で古代ローマ末期に殉死し
聖者となりました。

カルパッチョの作品はどれも精緻でありながら躍動感に溢れ、
今の時代に生きていたら世界的なアニメ作家になっていたのでは?と思うんですけど~

次は個人的には馴染みのない「聖トリフォ」
今のバルカン半島の生まれ殉教者でワインの守護聖人だそうです。
ヒーラーとしても崇められている聖者です。

モンテネグロの守護聖人なので、やはりクロアチアと近くダルメシアには
ありがたい聖人だったのでしょう。
因みに2月14日は聖トリフォの日です。
バレンタインデーはチョコの日ではなく実はワインの日なのでした🍷

聖トリフォの絵

同じ聖トリフォを描いた作品。

「聖トリフォンの奇跡」

ブドウ栽培に携わっていた熱心なキリスト教徒トリフォは17歳の時に神の啓示により
ローマ皇帝の娘を死の病から奇跡的に救いました。
その場面を描いた作品です。

251年にキリスト教弾圧で殉死。
トリフォはブルガリアの守護聖人でもあります。

聖ジョルジュ、聖トリフォともに東方教会では重要な聖人です。

「聖ゲオギオスと龍」そして「聖ゲオギオスの勝利」がペアになっております。

ラテン4大教父の1人聖ヒエロニムスとライオンの絵ですね。

修道院に迷い込んだライオンの足から棘をとってやったという逸話。
ヒエロニムスはバイリンガルで聖書をラテン語に訳し、広く一般に広めた聖職者です。
非常に禁欲的な人でイタリア読みでは「ジローラモ」と呼ばれます。
現在知られているジローラモさんとは真逆なような( ´艸`)

上の絵の右は「ヒエロニムスの葬儀」420年にベツレヘムで亡くなりました。

2階に上がると天井画も見られます。
ただし、天井画などはカルパッチョの作品ではないらしいです。
カルパッチョの作品はキリストの受難を描いたものやマタイを描いたものがあります。

上の絵はおそらく、この組合の歴代代表者と、その信仰を象徴する絵画なのかなと考えています。

第4次十字軍で武勲をあげた貴族が略奪した聖ジョルジュの聖遺物を
この同信会に寄贈したらしいですが、それはわかりませんでした💦

CGで忠実に内部と絵などが再現されています。
サンジョルジュ・デリ・スキアヴォーニ同信会館のサイトにありました。

http://www.studiothema.info/vt-videolight/index.html

ちょこっと小話~

ヴァポレットのサンマルコ駅やサンザッカリア駅の東側の岸を「スキアヴォーニ岸」といい、
ダルマチア(ダルメシア地方)からの商品の荷揚げをした岸でした。
スキアヴォーニはダルマチアを指す言葉です。

サンマルコ運河を挟んで向かい側にはサンジョルジョ・マッジョーレ島があります。
島の名前になっている聖ジョルジュを祀る大きな教会があります。

スキアヴォーニ岸から北に少し進んだところに、今回訪れた サンジョルジュ・デリ・スキアヴォーニ同信会館 があるのです。

現在のクロアチアからモンテネグロにかけてアドリア海沿岸がダルマチアです。
ローマ帝国時代に築かれた都市がほとんどです。
ヴェネツィアの東方貿易拠点として欠かせない良港が点在していました。

ダルマチア人はヴェネツィアと共に異教徒のスラブ人である海賊退治に貢献したり、
第4次十字軍の時には重要で優秀な船乗りとして活躍しました。
ローマ帝国時代に築かれたのでローマカトリック教徒が多いですが、
東方正教会とも非常に関係性が深いので、聖ジョルジュや聖トリフォを重要な聖人としているのでしょう。

オスマントルコの侵攻から逃れ多くのダルマチア人がヴェネツィアなどに定住しました。
また第二次世界大戦でユーゴスラビア連邦に組み込まれた際も多くのダルマチア人が
イタリアなどに移住しました。

ダルマチア地方はキリスト教とイスラム教の古くからの防衛線にあたる
地域で近年でも宗教上から数々の悲劇が生まれています。
またアドリア海に面してリアス式海岸になっているので、ローマ文化
とスラブ系の文化が融合する建築や絶景が最近では旅行者の人気観光地になっています。