「もののあわれ」
Netflixで『オスマン帝国』シリーズ1全6話を視聴して
感じたのはそれに尽きる。
欧米中心の現在の世界で国家などシステム的な部分、精神的な部分の根底をなしているのは紛れもなくローマ帝国の存在だ。
西洋史だけではなく世界史の中でキリスト教が果たしてきた影響は、この21世紀でも
抜きには語れない歴史のDNAに組み込まれているといっても良いほどで、
そのキリスト教的精神世界はローマ帝国あってこその事だった。
そのローマ帝国最後の砦、コンスタンチノープルの陥落を描いたのが
『オスマン帝国:皇帝たちの夜明け』なのだ。
「コンスタンチノープルの陥落」を描いた塩野七海は作品の中で
このように語っている。
一都市の陥落が一国家の滅亡につながる例は、歴史上、さほど珍しいことではない。
だが、一都市の陥落が、長い年月にわたって周辺の世界に影響を与えつづけてきた
一文明の終焉につながる例となると、人類の長い歴史のうえでも、幾例を数えることが
できるであろうか。
そして、それがしかも、何月何日と、いや時刻さえもはっきりと示すことが
できるとしたら・・・・。
コンスタンティノープルは、滅亡の日が明らかであるだけではなく、誕生の日も
はっきりしていることでも、珍しい都であった。
コンスタンティノープル(いまのイスタンブール)の誕生は
AD(紀元)330年5月11日。
そして1453年5月29日に弱冠20歳になったばかりのムフメト(モハメド)2世に
よって陥落し、
千百二十三年の歴史を閉じた。
Netflixではドキュメンタリードラマという方式をとっており、
ドラマの中にそれぞれの分野の歴史研究の第一人者による
解説が入る構成になっています。
これは同じNetflixの「ローマ帝国」と同じ構成です。
しかしドラマ部分も非常に見ごたえがあり、解説がドラマを損なうという
事にはなっていません。
もちろんドラマの主人公はムフメト2世なのですが、キリスト勢力側の
コンスタンティノープル最後の皇帝東ローマ皇帝コンスタンティノス11世の
人間性がキリスト勢力側から見れば悲劇をきわだたせ、日本の「平家物語」
近世では「戦艦大和の最後」や特攻隊などを連想させるのでした(´;ω;`)ウッ…
『もののあわれ』とは本居宣長による概念で「見る物聞く事なすわざにふれて情(ココロ)の深く感ずる事」を「あはれ」といっており『源氏物語』に流れる「美意識」と
いっていますが、まさにコンスタンティノス11世の皇帝としての清廉な美意識が
見るものの心を打たずにはいられません。
また難攻不落といわれたコンスタンティノープルの城壁を死守する
ジェノヴァの傭兵隊長ジュスティニアーニがカッコ良く戦闘シーンも
臨場感がありありで、どんどん物語に入っていました。
諸行無常感は万国共通なのだなと感じ入りました。
ドラマの主人公であるムフメト2世は20歳そこそこでコンスタンティノープル陥落という今までオスマン・トルコが何度も攻め入って落とせなかった偉業を成し遂げます。
経験は良くも悪くも働きます。
経験のなさ、若さが硬直状態だったトルコ側に勝利をもたらしました。
彼は非常に学識に富み、イスラム文化だけではなく、イタリア文化を非常に
好んでいたそうで今のフランス、ドイツなどの文化事情を好んで聴き、
それらの国々の地理まで熟知しており言語も数か国語を使いこなしていました。
エキセントリックな性格でいながら冷静さも持ち合わせた天才。
難攻不落の都の攻略には「世界三大山越え」という誰も考えつかない
戦略がありました。(注:世界三大山越えは私が勝手に認定( ´艸`))
ハンニバルによる像とのピレネー越え、私が認定した三大超えの中では
かなり奇抜さは劣るもののナポレオンのアルプス超え。
そしてムフメトの戦艦山越え。
勝手に認定三大山越えの中でも敵船侵入不可能な金角湾に配置する為に
行った70隻もの戦艦(当時はガレー船などの木造船)を山越えさせた
アイディアはピカイチだと思います。
歴史的事実がこれほどまでにドラマチックな裏には不思議な予言も存在していました。
コンスタンティノープルを建設しここを新しいローマとしたのがコンスタンティノス1世(コンスタンティヌス1世)。
予言は「最初の皇帝と同じ名前の皇帝の時代に都は滅びる」というものでしたが、
その通り同じコンスタンティノス(コンスタンティヌス)11世で滅びる事になるのでした。
これは後付けの予言ではなく、そのように言われていたようです。
見終わって、さて・・・
それ以降、歴史の大転換といえば18世紀中旬の英国で起きた
産業革命じゃないかというほどの歴史的な転換を実はボヤッとしか
知らない事に気づきました💦
私の中でコンスタンティノープルといえばビザンティン。
ビザンティン=東方正教会(ギリシャ正教会)
昨年、訪れたヴェネツィアを代表とする北イタリアにはたくさんの
ビザンティン美術で溢れています。
聖マルコ大聖堂がそうですし、パドヴァの聖ルカが眠る
や世界中から巡礼者が訪れるサンタントーニオ・ダ・パードヴァ聖堂もそうでした。
ファザードの後方にいくつかのドームが見えますが、これがビザンツの特徴です。
そもそも「ビザンティンって何?」という疑問が湧いてきました。
ビザンティン=ギリシャというざっくりした事しか知りません💦
世界史でも必ずビザンティン美術、ビザンティン帝国は登場するにもかかわらず、
あまり知らない( ;∀;)
そ~いえば~東ローマ帝国の首都はコンスタンティノープル・・・
ローマ帝国はもちろんローマ教皇をいただくカトリックなわけで・・・
なのにビザンティンってギリシャ正教よね?
などと頭の中がとっちらかっております。
このドラマを見ていたころニュースでアヤソフィアをモスクに戻すと
トルコのエルドアン大統領が発言した事で物議をかもしているとの
報道がありました。
薄~い記憶でアヤソフィアはキリスト教とイスラムの両方の会堂として
時代により使われていたという事を思い出したのです💡
そうか、なるほど~このコンスタンティノープル陥落以来のイスラム勢力
の台頭が、ここに繋がっているのだな~とまさにジャストタイムな
ニュースで今まで分かっているようなつもりになっていたビザンティンの歴史や
その宗教とローマ・カトリックとの関係などを調べてみようと決心!
なのでしばらく私の忘備録としてこの辺りの歴史を探り、ブログに
残そうと考えております。