新Y’sクロニクル

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4時間でヴェローナ観光②スカラ家とシニョーリ広場のダンテさん【2019年ヴェネツィア&ウイーン旅行㉔】

 

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正直に書けば行く前のヴェローナに関しての知識は
「古都である」「アリーナで野外オペラ」
「ロミオとジュリエット」という断片的な事だけだった。

それでもヴェローナに決定したのは交通の便と友達が「ヴェローナは可愛い街よ、
フィレンツェが好きなら好きなはず!」というアドバイスだった。

 

その友達はローマは好きだけれどフィレンツェは暗い街だからという理由で好きじゃないのだ💦

うんうん・・・可愛い街・・・女子なら好きよね~可愛い街💖
(だれが女子じゃ~😡)

いざヴェローナの駅から旧市街への入り口、ポルタ・ヌォーヴァ門まで歩き、
「本当にヴェローナは可愛い街なんだろうか?」との疑問が頭をもたげました。

でもでも門をくぐり旧市街に入ってからは気に入ったわ~
と~っても素敵な街だったわ~

 

今でも古都の雰囲気満載のシニョーリ広場

 

アディジェ川がS字型にヴェローナの街を流れ、
それがとても美しい景観を作り出しています。

 

「S」の下半分部分に見どころが集中し歩いて回れるので
観光に便利な街でした。

特にジュリエットの家から北に少し、ほんとうに少し歩いた先のシニョーリ広場付近は
そのまま中世の映画のセットに使える様なタイムスリップさでした。

その広場に佇んでおられるのは神曲で有名なダンテさん!

 

この像はダンテ生誕600年を記念して1865年5月14日に落成されました。

写真、右端は「ポデスタ宮」で13世紀末に市の執政官の公邸として建てられ
現在は市長官邸。

 

シニョーリ広場のダンテ像
シニョーリ広場のダンテ像、後ろはコンシーリョの回廊とポデスタ宮

 

ダンテはフィレンツェの人ですが例の教皇派、皇帝派の対立の中、
教皇派も2つに分かれ対立し、
フィレンツェから永久追放の身となったのでした~

 

ダンテ=作家だけではありません。
政治を担っていた人でもありました。

ダンテが追放された13世紀当時、ヴェローナを治めていたのは
スカラ家(スカリジェリ家)

 

そのスカラ家から庇護を得て一時ヴェローナに滞在していたのです。

「神曲」の大半をヴェローナで、その後ラヴェンナに移り「神曲」を完成させ、
家族もラヴェンナに呼び寄せ生涯をそこで閉じました。

家族と離れて追放の身でのヴェローナでの生活。
さぞかし思う所があったのでしょう・・・

 

 

「THE・深刻」という苦渋の表情は致し方ないのでしょう(≧▽≦)

 

ダンテ像の顔アップ
世界最古の建築理論本を書いた Vitruvius さんとダンテさん。

 

口をへの字に結ぶダンテと対照的なのが屋根の上の彫像。

 

「デカイ魚釣ったで~」とご機嫌さん・・・魚じゃないか( *´艸`)
この方、紀元前の偉い建築家さんだったらしいです。

上の写真でダンテ像の後ろに見えるのは「コンシーリョ(コンシリオ)の回廊」。

 

コンシリオ=カウンシルということでヴェローナの議会だった建物です。

 

1476年に完成したルネサンス期の美しい建築でフラ・ジョコンドによってデザインされました。

 

 

上部に5体の彫像は建築家のVitruvius、詩人Catullo、博物学者Pliny the Elder、詩人Macro、
歴史家 Cornelio Nepote だそうです。

へ~Pliny the Elderって「大プリニウス」の事なのね~(@_@)

ガイウス・プリニウス・デクンドゥスが正式名。

 

5人共に紀元前後くらいの方々で何人かはヴェローナ近郊出身なので、そのような人選なのかもね?

 

ラッジョーネ宮の風景
ダンテ像の背後からの風景ラジョーネ宮が見える。

 

チョコ&バニラのサンドクッキーのような色合いの建物はラジョーネ宮で12世紀に市庁舎として建設。

今は法廷らしいです。

 

写真左はカンシニョリオ宮でスカラ家の邸宅兼要塞として1363年に建てられました。

カンシニョリオ宮の一番上部分に注目!

 

上部が三角形に切り抜いた形になっていますね?

 

これはギベリン派(皇帝派)の印でギベリン=燕尾という意味らしいです。
グエルフィ 派(教皇派)は三角に切り抜いていない形の屋根飾りです。

 

ラジョーネ宮とカンシニョリオ宮を繋ぐ門

 

上の写真でラジョーネ宮とカンシニョリオ宮の間にアーチ型の門があり、
その上にも1体の彫像があるのをご覧になれるでしょうか?

 

ジローラモ・フラカストロというルネサンス期の文学者の彫像

 

カラスが器用に止まっておりました~( ´艸`)

 

シニョーリ広場はアーチがあってお偉い方がその上に立っているという広場でした。

 

お墓が立派な観光名所、スカラ(スカリジェリ)家霊廟

 

スカラ家の邸宅 カンシニョリオ宮 にあるカラスも止まる像の下を行きますと、
スカリジェリ・・・スカラ家の礼拝堂と霊廟があります。

 

スカラ家の霊廟につながるアーチ

 

右の建物は「サンタマリア・アンティカ教会」でスカラ家の礼拝堂。

 

スカラ家礼拝堂と霊廟

 

その中央にスカラ家当主の石棺があります。
その石櫃の上部の騎馬像も同じご当主がモデルです。

 

皇帝派(ギベリン)の指導者でもあったスカラ家の当主カングランデ(1291年3月9日- 1329年7月22日)の石棺が、このように目立つところにあります💦

カングランデとは「グレート・ドッグ=偉大な犬」という意味らしく
石棺下部両端に犬のレリーフが見られます。(caneはイタリア語で犬の意味)

 

カングランデの石棺

 

ダンテはカングランデに庇護されていたのでした。

カングランデの石棺と同じくらいに目立つのが霊廟の角に位置する
マスティーノ2世(1329年 - 1351年)の石棺。

 

マスティーノ2世の石棺

 

霊廟はとても美しい鉄柵で囲まれています。

 

スカリジェリ霊廟の横にある通り

 

離れて見るとレースのように見えますね~
カソリックの礼拝の時に頭部を覆う黒いレースのようです。

これはスカラ家の家紋章なのです。

 

 

よ~く見ると真ん中が階段・・・ハシゴにデザインされているのがわかりますか?
「Scala」はイタリア語で「階段」を意味し、エスカレーターの語源にもなっています。

あれ???英語で定規や大きさを「Scale」っていうじゃない?
スカラ家の紋章から来てるのかもね~

 

英語でも「よじ登る」って意味があるらしいと今知った(≧▽≦)

またミラノの「スカラ座」はスカラ家が由来です。

スカラ家がヴェローナを支配した13~14世紀ミラノ公国はヴィスコンティ家が
支配しておりました。

 

ヴィスコンティ家も皇帝派(ギベリン派)でした。

 

イタリアでルネサンスが花開く頃に両家は繁栄を謳歌したのでした~

 

ジュリエットの家のすぐ近くで朝食~

 

朝早く出発したので、このあたりで朝食をとりました。
ちょうど「ジュリエットの家」の並びカペロ通りに有名な「Pasticceria Cordioli」
があるので、そこに行きました。

 

ベーカリー外観

 

人気店なので軽い朝食をとる人達で賑わっていました。
パンドーロなどのヴェローナ発祥のお菓子でも有名なお店です。

 

店内

 

私は以前から気になっていたシュークリームのようなエクレアのようなものを。

 

シュークリームはメディチ家からフランス王アンリ2世のもとに嫁いだ
カトリーヌがフランスに持ち込んだものなんで、こちらは原型なんでしょう。

 

イタリアのスイーツ店には必ずあって一度試してみたいと思っていたのでした~

 

カフェラテとスイーツ

 

中に何が入っているか尋ねるとチョコだって。
チョコ&チョコか~朝から・・・

一口食べると、予想に反して全てが固い(@_@)

 

イメージしたシュークリームと似て非なるものです。
カフェラテとこのお菓子で5ユーロいかないくらい。

www.pasticceriacordioli.it

お腹も満たして、これから楽しみなジュスティ庭園に向かいます!

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