浅草はお盆の風景が良く似合う。
世が世なら先週にはホオズキ市がたち、白熱球に照らされた
釣りしのぶやホオズキが幽玄っぽい世界を醸し出す。
ねっとりとした暑さと露天の間を行き来する人々、そして露天商の声、
古い映画を見ているような、そんな気持ちにさせるお盆の頃の浅草。
殆ど陽が落ちかけた吾妻橋からの風景が好きだ。
他の街よりも控えめなネオンがお盆の頃の独特な雰囲気にぴったりなのだ。
今日13日は盆の入り。(東京は)
母の新盆だ。
その新盆に母が亡くなって以来初めて泣いた。
葬儀の時にも涙はでなかったのに。
家には仏壇というものが無い。
父母の写真とクリスタル製の位牌があるだけ。
それでもお盆なのでキュウリやおナスなどのお供え物(スーパーでゲット✌)
や百合の花をかざりお香もともした。
お昼を食べながら「はて???新盆って何をするんだっけ?」と考えた。
父の時にはギリ母が1人で暮らせていたので仏壇はあったんだよな~
何かしたのか?
まったく記憶がない💦
記憶が無いという事は記憶に残る事はしていないんだろう。
ネットで調べると13日は迎え火を焚くらしい。
火は危ないので白い提灯を吊るすらしい。
初めて家に帰るので魂が迷わないようにという目印。
ホオズキは提灯に似ているので飾るとあった。
あら・・・ホオズキはホオズキ市が無かったので購入していない💦
そんなこんなを考えていると父と母の姿が浮かんだ。
ウチのマンションを見つけて「ほらお父さん、かりーの家よ♬」
大きな荷物を持った父が「あ~そうだなかりーの家に着いたか」と
我が家を見上げている姿。
今から10年くらい前の父母の姿だ。
あちらから今年は2人でやってくるのだろうか?
そう思うと涙が出た。
認知症が進んでからは母であって母ではないという感覚が
ずーっとあった。
なので亡くなった時も楽になったと思え、安心したというのが正直な気持ちだった。
そのようになってからの動画を先ほど見た。
叔父夫婦がウチに来て母を含めて会食した時の動画だ。
声も入っている。
だが、それを見ても懐かしく切ない気持ちは微塵も湧かない💦
髪のセットにも気を使い、もちろんメイクは欠かさない
本来の母の姿ではなかったので。
なので、なぜ10年くらい前の父母の姿でウチにやってくる
イメージで泣けたのだろう???
お盆の迎え火を頼りに家に戻る・・・
『初恋の来た道』を思い出していた。
田舎で暮らす母親が都会に出ていた父親の急死を受けて、
その遺体を昔の方法で家まで運ぶことに固執した場面。
魂が道に迷わないように遺体を運ぶ人たちは角かどで
大きな声を出す。
車で運ぶと父親の魂が道が分からず迷ってしまったら
可哀そうだと母親が人力で運ぶ方法に固執したのだ。
そのようなしきたりが昔の中国にはあったのか?とネットで調べても
探せなかったけれど、原題が『私の父と母』だと今さら知る。
私の父と母には映画のようなロマンチックな物語はないけれど
やはり2人で帰ってくるのだろう。
時々、昔の2人の姿を思い出すことがさすがの私にもある( *´艸`)
それは何故かいつも夏の父母の姿だ。
「暑いわね~蒸し暑いわね~」といっている姿だ。
とにかく蒸し暑さを目の敵にしていた母だった(≧▽≦)
なんなんだろうね~
わたし、懐かしいのかな~???
自分で自分の心理が実のところわからない・・・
白い提灯もホオズキも無いので玄関でお香を焚いた。
お香といってもエステバンの良い香りのものね✌
迷わず戻って、やっぱり「蒸し暑いわね~」と
文句を言っていると思うのでビールを遺影に供えた。