欧州を旅すると教会なんて~ものは飽きるほど目にするものです。
イタリアに至っては最たるもので。
飽きるほど見ても、印象に残る教会もあります。
フィレンツェならばサンタ・クローチェ教会(大聖堂)も
その1つ。
なんたって大物が、ゴロゴロ・・・いや失礼💦
多数お眠りになってらっしゃるのですから。
イタリア栄光のパンティオンと呼ばれるサンタ・クローチェ教会はフランシスコ会四大聖地の一つ
アッシジのフランチェスコが創立したフランシスコ会(英語読み)の聖地に
建てられたのがサンタ・クローチェ教会。
ニューシネマパラダイス風にモノクロで。
1209年フィレンツェの城壁の外にある湿地帯にフランチェスカは
修道院の原型である労働共同体をこの地に置きました。
16世紀、メディチ家のコジモ1世によってゴシック建築の聖堂が誕生。
度重なる洪水の被害を経て今のファザードが完成したのは19世紀と
新しいものでファザードはネオ・ゴシック建築です。
イタリアのゴシック建築はヨーロッパの他の国と違い、
天に届くように上へ上へという建築とは違いますね~
この教会に眠るのはロッシーニ、ガリレオ、ミケランジェロ、マキャヴェリなどなど。
またフィレンツェの名門パッツィ家、メディチ家などの礼拝堂もあります。
フランシスコ会は清貧をモットーとしていますから内装は質素。
主祭壇は、この時、修復中でした。
ガリレオのお墓。
書物の上に地球が乗っているのかな?
鮮やかなお墓はミケランジェロです。
巨匠ヴァザーリが手掛けています。
ミケランジェロの下には3人の女性が配されていますが
絵画、彫刻、建築をあらわしています。
主人の頭が切れっちゃってますがダンテです。
ダンテはフィレンツェを追放されラヴェンナに眠っているので
記念碑という感じでしょうか?
床にはフィレンツェの有力者のお墓が。
祭壇に近いほど有力者ということですがお金がものをいうのは
古今東西同じなのかも(≧▽≦)
ブルーがとても美しいドーム天井。
下の写真奥、中央はパッツィ家の礼拝堂です。
パッツィ家はメディチ家より古い家系で「パッツィ家の陰謀」は有名ですね。
新興貴族でありながら金融とフィレンツェの支配を一手に担っていた
メディチ家のロレンツォの殺害をサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂での
ミサで実行し、弟のジュリアーノを殺害しロレンツォは
かろうじて生き延びたのでした。
教皇シクストゥス4世によってメディチから金融業の地位を奪い、
パッツイ家に委譲したのが発端で、この辺りは惣領冬美の「チェーザレ・破壊の創造者」でも詳しく描かれていました。
ロレンツォは陰謀に加わったパッツィ家当主を含む関係者100人をも処刑したのでした💦
これに激怒した教皇シクストゥス4世はメディチ家を破門しナポリ王国と同盟を組み
メディチに宣戦布告するのですが、逆にロレンツォはナポリ王に気に入られ
平和条約を結びメディチの威光を確固たるものにしたのでした。
修道院部分の回廊はルネサンス建築。
ドア越しにサンタクローチェ広場が見えます。
古はアノル川中州だったので、なんども水害にあったのでしょう。
現在はレザーのお店が軒を連ねています。
修道院裏手にはレザー学院もあります。
フィレンツェの美しい光景。
サンタ・クローチェ教会(大聖堂)はこのように歴史本に
登場するいろいろな偉人、そしてフランシスコ会の聖地でありながら
日本から訪れる観光客は、とても少ないそうです。