ローマの緯度は青森とほぼ一緒という事だけど、地中海性気候の為、
夏は暑く雨が降らないカリフォルニアの青い空的な日々が続く。
モンティを探索しただけで陽の高い時間帯は暑くてお部屋で体を休めた。
9時過ぎまで暗くならないので、陽が傾いてきたあたりで王道観光に
出かけた。
やはり、そこはローマ初心者さん向けツアーの時間も設けなくてはね✌
薄暗くなるのは8時過ぎ・・・
初心者さんは日中の暑い時間帯に一通り観光スポットを通ったとは言ってたけれど。
モンティからトレヴィの泉までの道も歴史的建築のオンパレード。
ちょうど中間地点にあるこの建物の玄関灯が素敵🥰
などと写真を眺めていたら、なんとここはコロンナ宮殿(今はコロンナ美術館)
詳細は次回のブログにでも書こうかな~と考えていますが、
あの「ローマの休日」でのアン王女(オードリーヘップバーン)が会見を開いた場面の撮影は、ここの広間で行われたそうです。
外観の見た目と内観は大違いなんですよね。。。
まだ、観光客でごった返してるよ~💦
取り合えず、噴水が見える最前列で写真撮影して、もっと夜遅く
に戻り、ゆっくりコインを投げなくっちゃね~
ローマに再度、来れますよ~にっていうご利益があるように。
で、ほど近いスペイン階段にやってまいりました~
スペイン階段って今は階段の途中で座れないんだって~Σ( ̄□ ̄|||)
座って写真撮影できないんだって~💦
こちらは↓夜の10時過ぎ~
日中暑いので夜に涼んでる人、多いよね~
スペイン階段の一番上にある教会は「トリニタ・デイ・モンティ教会」
1502年ルイ12世の命によって完成したフランス所有の教会で、このお隣には
スペイン・ブルボン家の大使館が並んでいました。
17世紀、フランス・スペイン戦争が終結し、ローマではお隣同士だった両国の
友好のシンボルをこの地に建てたいと考えたフランスの資金提供によって
スペイン階段が誕生しました。
またジュビリエ(聖年)も迫っていたようでローマにとっても都合が良い計画でした。
なのでスペイン階段の正式名称は「トリニタ・デイ・モンティ階段」です。
階段下のベルニーニ作の噴水のある広場もスペイン広場という名前が付けられたフランス・・・(;'∀')
教会の前を(ピンチョの丘)をポポロ広場方面に歩くとすぐにヴィラ・メディチがあります。
この丘は古代から皇帝の別荘用地でした(古代はローマ近郊といった感覚だったのでしょう)
偉い人物が絡むと黒歴史も生んだこの土地を購入したのはトスカーナ大公フェルナンド・デ・メディチ。
イタリア諸侯の中でメディチこそNO1を示す為にはローマに不動産を持つ必要がありました。
メディチ家の威光をかけて作られた邸宅や庭園、収蔵された美術品の数々、小高い丘に位置する庭からはサン・ピエトロが望まれ当時の画家によりその風景が描かれました。
現在は手前の木々で遮られサン・ピエトロは見えませんが、下の道を歩く私たちからも
ヴィラ・メディチは木々の間からチラッと見えるだけです。
なのでヴィラ・メディチあたりのピンチョの丘から反対側を眺めると
サンピエトロではなくサンティ・アンブロージョ・エ・カルロ・アル・コルソという長い名前を持つ教会が見えます(≧▽≦)
1700年代に男系メディチ家が絶えたので、のちのちナポレオン・ボナパルト所有になりました。
その後、ナポレオンはローマのフランス美術アカデミーに委譲し現在までフランスの
所有となっています。
バロックの時代、スペイン階段の上にフランス美術アカデミーがあったらしいのですが、当時は各国からイタリアに美術留学に来ておりフランスからも才能ある画家がローマで学ぶためにこの地で暮らしていました。
このようにこの辺り一帯はフランス所有が多いにも関わらずスペインだけが、
名を遺すとは皮肉な物です💦
ピンチョの丘から眺める夜の景色は絵画のようです。
ポポロ広場が見えてきました~
そろそろ下に降りましょう~
今回は双子の教会にあるカラヴァッジョの作品を
ぜひ見たいと考えていましたが、
双子の教会前を通ったのは、この時が最後でした~(≧▽≦)
ナボーナ広場方面に向かうとジェラート屋さんの前は
どこも人だかり・・・
アペリティーヴォの時間帯は、とっくに過ぎていますが、
ビールが飲みたくて~🍺
すっかりハマったスプリッツァも欠かせません✌
10時もとおに過ぎたしトレヴィの泉も人が少なくなったかな~
と思ったら・・・
多いじゃん(´;ω;`)ウッ…
(偶然にロマの女性が映っておる💦)
朝、コイン投げておけばよかった~
人が多すぎて池の近くまで行く気が起きなかった・・・
あーもうローマに来ることはできないんだろうか~(´;ω;`)ウッ…
やはり常に一期一会だと考えて行動するのが正解だ・・・・
特に海外では🐷