新Y’sクロニクル

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【2024年夏・古代ローマの中心でちょい住み旅⑩】どこでもドア的モンティ逍遥、古代の歴代皇帝フォルム(Forum)

(アウグストゥスのフォーラム)

 

 

本日のタイトル「モンティ逍遥」とは、いにしえで高尚な文章感が感じられる

「逍遥」という言葉を使いたいがためにつけたタイトル~(≧▽≦)

使ってみると「モンティ」と「逍遥」の相性は良くないみたいで、いにしえ感が

感じられないと気づく(≧▽≦)

 

さて前回、ローマ人気観光スポットをご紹介しましたが、モンティから

その辺りまで歩いているとフツーに通るありきたりな道全てが

歴史的遺産に囲まれており、なおかつ旅行案内では取り上げる価値から除外されているであろう遺物などを自分の為に残したい思いの本日のブログ。

 

マドンナ・ディル・モンティ通りにあるアパートメントのドアはまさに

どこでもドアというかタイムトリップドア。

 

アパートメントのドアを開け少し歩くとトール・ディ・コンティ通りとの角に「ホテル・フォーラム」という

4星ホテルがあります。

18世紀の修道院を利用し改築されたホテルでサイトを見るとなかなか素敵ホテルです💕

数々の著名人たちが当ホテルのお客様としてホテルのホールを通り、ご宿泊なさいました。当時はまだJFKことケネディ大統領のファーストレディーであったジャクリーン・ケネディ夫人もその一人。今でも良く覚えていますが、専用に用意された眺めのよい当ホテルのルーフガーデンへ通じる安全通用口をご利用されていました。他にも、芸能人や政治家、財界の著名人など数多くのお客様が長期滞在なされました。「女性の心を奪う」アラン・ドロン、リズ・テイラー、マドンナ・デイ・モンティ通りをカメラマンたち(パパラッチ)に追いかけられたブリジット・バルドー、スウェーデンのグスタフ王、さらには、グレゴリー・ペック、ミシェル・ピコリとグレコ夫人、「またお会いしましょう」と耳元でささやきながら友情のしるしに白のスカーフをくださったダライ・ラマ。どなたも記憶に鮮明に残っています。(サイトより引用)

www.hotelforum.com

 

ホテル近辺はユリウス・カエサルが生まれ育った場所。

上記のセレブ以上の元祖セレブなクレオパトラもカエサルと共にローマ滞在中は、この辺りで過ごしたのかもしれませんね💕

 

ホテル・フォーラムの前から見えるのはトップ画像のアウグストゥスのフォーラム。

いきなり紀元前Σ( ̄□ ̄|||)

 

フォーラム(フォルム)とは?

 

現代「フォーラム」というとシンポジウムと似たような意味合いで使われることが

多いですが、原型である「フォーラム」は公共の広場をさしました。

 

もっとも古いフォーラムはフォロ・ロマーノが有名で紀元前6世紀から整備されました。

バシリカと呼ばれる公会堂や宮殿、浴場などが整備され元老院、神殿などもあり、

宗教儀式、市民集会などが開催されるオープンスペースでもっとも重要な都市機能でした。

フォロ・ロマーノが手狭になり共和制期、帝政期と皇帝により新たなフォーラムが

建設されました。

 

カエサル、アウグストゥス、トライヤヌスのフォーラムなどが有名で、

これらを「フォルム・インペリアーリ(皇帝たちのフォーラム)」と呼びます。

 

 

ホテルのお向かいのフォルム、アウグストゥスは、あの帝政ローマ初代の皇帝アウグストゥス(オクタビアヌス)のフォーラム。

紀元前20年に着工し完成したのは紀元前2年。

 

 

フォロ・ロマーノは見学したいと考えていましたが、この皇帝たちのフォーラムが

このような状態で、このようにフツーに歩いていて目にすることができるとは

考えていませんでした。

フォロ・ロマーノで見学料を支払は無くても、見学し放題とは驚きました。

コリント式の柱なども見えます。

 

 

神殿だったのでしょうか?

列柱は至る所で見ることができます。

 

 

↑残念ながら列柱ではなく、手前の金網にピントが合っている(;'∀')

 

下の写真、観光客が集まっている建物はパラッツォ デル グリッロ。

17世紀に建てられた大きな邸宅で、バロック様式の扉と 2 つの側面前衛建築を備えたファサードが特徴です。

建物の中央部分は、いわゆるグリッロの塔と一体化しています。中世の要塞のような外観で、完璧に保存されています。一時期、有名なマルケーゼ デル グリッロ (侯爵) が所有していました。

 

 

グリッロの塔は1221年にトライアヌス帝の城壁跡にカルボーニ家が建設し、

コロンナ家などに渡り17世紀にグリッロ家が買い取りグリッロ宮殿と繋げたそうです。

宮殿の中は当時の有名芸術家の作品が多数あり大変豪華なんだとか・・・

ローマ(イタリアのともいえる)の建物は外観から想像がつきませんね。。。

 

 

連結部分のアーチをくぐれば左手にトライアヌスの市場跡も見えてきます。

 

目の前に現れたのは「サンティ・ドミニコ・エ・シスト教会」

16世紀の名前の通り聖シスト(シクストゥス2世)に捧げられました。

ローマ教皇であったシクストゥス2世の在位が257年から258年と短期であるのは迫害の為に殉教したからで、その後聖人となりました。

その聖シストとドミニコ派の創始者に捧げられた教会。

 

 

ドミニコ会の修道院にもなっていました。

裏には同会系列の大学になっています。

こちらも内部はベルニーニによる彫刻など必見要素が満載らしいですが、

必見場所が多すぎて、おそらくひとつ、ひとつ入って鑑賞すると

1年は日本に戻れない感じです。

 

次に見えてきたのはAD113 年に完成したトライヤヌスの記念柱。

ダキア戦争の勝利を祝い元老院が依頼した柱。

 

 

柱の高さは30mで台座を入れると38m。

後の記念柱のモデルとなったらしい。

 

そろそろトレヴィの泉も近くなってくるとコロンナ宮殿が見えてきます。

(とか書いてるけど歩いてるときは知りませんから~フツーの

ヨーロッパの宮殿と外観が違い過ぎるのよイタリアは)

 



右手の石垣の上はその庭園。

高層建築の無いローマなので、ここからもローマが一望できます。

 

 

コロンナ家はローマ有数の古くからの貴族で、この建物は同家出身のの教皇命で15世紀に完成。

現在は同家が20世紀までに収集した美術作品を展示する美術館になっています。

 

そして前回、書いたように「ローマの休日」でローマを離れるアン王女が

会見を開いた舞台になりました。

外観から想像できない豪華さで、まさに宮殿!

映画で見たんでわかります(≧▽≦)

 

www.galleriacolonna.it

 

このように15分程度歩いただけで遺産の洪水。

教会一つとっても日本にあれば世界遺産へ~!となる事必至(≧▽≦)

 

いつも、いつも日本に戻りあたらめて調べると、見学しなかった事への

後悔ばかり(´;ω;`)ウッ…

ローマの奥深さはマリアナ海溝なみなのであります・・・

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