新Y’sクロニクル

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【2024年夏・古代ローマの中心でちょい住み旅⑯】ローマ神話の世界に迷い込んだようなカンピドーリオの丘。

 

カンピドリオ(Campidoglio)ともカンピトリーノ(Capitolini)とも呼ばれる

ローマ7つの丘で一番標高の高い(とはいえ海抜50mほど)丘でローマ中心中の中心。

 

滞在していたモンティとはトラヤヌスのフォーラムを挟んで東と西の位置。

 

 

この丘の北、古い遺跡を壊して作られたのがヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。

1991年にイタリア統一を記念して建てられましたが、歴史ある周りの建物と

そぐわないと非難殺到。

ウエディングケーキといわれたそうです。

 

 

そのお隣にはサンタ・マリア・イン・アラチェリ教会があります。

共和制ローマ初代皇帝アウグストゥス(BC63年生まれでAD14年死去)は、ここで幼子を抱く聖母を幻視しキリストの到来を予言し、神の子の祭壇(アラ・チェリ)ができるであろうという巫女のお告げをきいたとされています。(あくまでキリスト教の伝承)

 

その伝承に基づいて6世紀には存在しており、14世紀初頭に改築されました。

どの本にも、どの解説ブログにもファサードはゴシック様式と書かれているけれど、

ゴシックの特徴である高い尖塔もフライング・バットレスもあるようには見えないんだけど。。。

どちらかというとロマネスクっぽいよね~(と素人は思う)

 

教会に続く階段は124段もあり「天国の階段」(ツェッペリンかよ~)と呼ばれています。

 

 

記念堂とは、こんな位置関係ね↓

 

 

今回は中には入りませんでしたが、2012年に見学した際の内部写真。

 

 

病治癒のご利益があるとされる聖幼な子の像。

 

 

1615年、仙台藩の支倉常長は慶長遣欧使節団としてローマを訪れ、

この教会の修道院部分に滞在していました。

彼は当時の教皇や貴族から大変に尊敬されローマ貴族位を与えられたんだよね。

ローマには支倉常長という店名の和食店もあります。

 

天国の階段の横にあるのが「インスラ・デッラ・チェリ」

インスラ・・・今でいう高層住宅です。

カンピドリオの丘は神々の丘だったので市民は居住できませんでした。

その丘の下にAD2世紀の4階建ての住宅がルネサンス時期の建築物を解体した時に

そのままの形で発見されたんだとかΣ( ̄□ ̄|||)

1階はタベルナ(食堂店舗)になっており現在の道路の9m下部分にあります。

 

 

そして、この丘の主役!!!

カンピドーリオ広場~

カンピドーリオは英語のキャピタルの語源。

 

 

ギリシア神話に登場する双子のカストルとポルックスの像が出迎えてくれます。

高さ5mもあり圧巻Σ( ̄□ ̄|||)

 

正面に見える建物は現ローマ市庁舎。

 

 

ミケランジェロによって設計された広場はこの階段から見上げると奥まって見える

遠近法に則って設計されているんだとか。

 

右の屋根の上に像がピュン、ピュンと乗っかっている建物はコンセルヴァトーリ宮。

カピトリーニ美術館の入口になっています。

古代のゼウス(ジュピター)神殿の上に建てられました

 

教皇シスト4世(15世紀)所有の彫刻をラテラノ宮殿から移し市民に公開したのが始まりで世界で最古の美術館。

 

 

広場の中央にはマルクス・アウレリウスの騎馬像のレプリカ。

オリジナルはお隣の美術館に所蔵。

 

 

市庁舎を挟んで左(新宮)もカンピドーリオ美術館です。

市庁舎は古代の公文書館の上に建てられました。

また古代には造幣局も、この丘にありユノー神殿で鋳造されていました。

Juno Moneta(ユノー・モネータ)が正式であり、造幣局・・・モネータ・・・

神殿で鋳造される貨幣はモネータと呼ばれるようになりました。

何かピンときませんか???

そうです英語のmoneyの語源です。

 

給与のサラリーはソルト(塩)が語源、ローマ兵は報酬として塩を受け取っていたのですね。ソルジャー(兵士)もそこからの流れ。

ボーナスはローマの豊穣の女神Bonus・Eventus(ボヌス・エベントス)が語源。

 

イタリア語でもフランス語でもBONが付く言葉は良いという意味ですもんね。

 

と・・カンピトリーノとは話題が離れてしまった(≧▽≦)

 

 

 

石畳はミケランジェロによって幾何学模様の楕円形に設計されています。

典型的なバロック(バロッコ=ゆがんだ真珠)様式です。


あー21世紀の現代からローマ神話の世界に迷い込んだような幻想的な

夕暮れ💕

 

 

すぐ裏はフォロ・ロマーノなのでモンティに近いと思い、↓を通って帰ったら

チルコマッシモに出てしまったとさ・・・

 

 

カンピドーリオの丘

 

この丘はローマ建国の地です。

狼に育てられたロムルスとレムスの像があります。

 

 

しかし調査によれば鉄器時代(BC1300年)から人々が住み着いていたそうです。

 

古代は高い場所に要塞を建設したので、要塞としてこの丘が発展し、

BC6世紀頃にジュピター、ユノー、ミネルヴァ3神の神殿が建てられました。

その後、造幣局、公文書館、公的重要施設が増えていき帝政後期まで続きました。

 

が・・・アヴェンティーノの丘と同じで蛮族(ゴート族)により大部分が破壊されてしまいました。

410年に起きた西ゴート族王アラリックによるローマ略奪です。

そして間もなく西ローマ帝国は滅亡してしまいました。

その後がいわゆる中世といわれる時代でカンピドーリオも寂れ羊が放牧されている

丘になってしまいました。

しかし11世紀には行政、立法の重要な場所となり元老院も復活し再びローマの

中心となりました。

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