新Y’sクロニクル

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【2025年9月フランス•リヨン編①】サン・テグジュペリの故郷リヨンまでシャンベリからバスで行く。

 

バスを利用してシャンベリからリヨンまで行きました。

もちろん鉄道利用もできますが直通は少なく、バスなら直通だし安い。

電車とバスの直通は乗車時間もほぼ同じ。(乗り換えの電車だと倍の時間もあり)

ローカル鉄道で早期予約ならほぼ変わりませんがTGVやフレッチャロッサを使うと早期なら30ユーロ程度で直近だと100ユーロなんてこともΣ( ̄□ ̄|||)

 

 

バスの場合(Flixbus利用)10ユーロで最前列から2列目迄はエクストラ料金が5ユーロかかりますが、それを利用しました。

最安で往復50ユーロの電車よりエクストラ料金含め往復30ユーロを選びました。

なんといってもユーロは高いので(円が安すぎるので)1ユーロでも節約✌

 

朝7:20分発のバス。

9月のフランスは夜は9時頃まで明るいけれど朝は7時くらいにならないと明るくならない。

 

バスターミナルに到着すると市営バスがたくさんスタンバイ!

 

 

前日がストライキだったので余波はないのか心配でした。

 

バスターミナルのオフィスで乗り場を教えてもらいがてら定時運行かどうかを聞きました。

 

 

窓口の女性が「リヨン行きの運行状況を調べて後で教えます」とのことで

外で待っていたら定時運行ですよと知らせに来てくれました。

こんな対応も親切だな~と。

フランスでも田舎は日本と同じホスピタリティですおそらく。。。

 

定時運行といっても日本の定時ではありません。

15分は遅れて定時運行のバスは到着しました(≧▽≦)

 

 

シャンベリが始発と思っていましたが先からなのね~

ほぼ満席でした。

 

 

ヒップホッパーな兄ちゃんは常にリズムを刻んでいます(≧▽≦)

とはいえバスと電車で大きな利用者層の違いは感じませんでした。

 

高速は雄大な自然の中を突き抜け渋滞のストレスなしで快調に進みます。

 

 

高速を降りリヨン市内に近づくと急に車が多くなるΣ( ̄□ ̄|||)

 

 

リヨンのペラーシュ駅に隣接したバスターミナルで下車しました。

もう一つのメイン駅、パール・デュー駅より治安が悪いとされているペラーシュ駅。

バスターミナル側はそんなに治安は悪くない側です。

 

リヨンに宿泊しなかったのは経済的ホテルはほぼ治安の悪い地区にあったからです。

リヨンはパリよりはるかに治安が良いとされていますが、シャンベリとは違い

僅かにあのドラッ〇の香りの漂いも感じました(もちろんNYCの比ではありません)

 

ここでちょこっとリヨンについて

 

リヨンはフランス第2の都市、人口はマルセイユのほうが多いのですが、フランスは単独の人口ではなく広域圏で比較するので広域圏としてパリに次ぐ都市です。

 

歴史的にはフランスで最も古い大都市はマルセイユ。

マルセイユはギリシャの植民地でした。

リヨンは紀元前にガリア戦記に描かれているようにカエサルによって征服されローマ帝国の最前線基地として重要な街となりました。

 

その後、2世紀にはガリア3州の首都として栄え14世紀にフランス王国との併合以降も絹産業で栄えた街です。

 

そのように古代から重要都市だったリヨンの発展をローヌ川とソーヌ川が支えていました。

というより地中海にそそぐローヌ川、スイスアルプスからローヌ川に合流するソーヌ川という2つの河川こそが軍事的にも経済的にも大きな役割を果たしました。

 

ローヌ川はスイスのローヌ氷河からレマン湖を経由し地中海に注いでいます。

ソーヌ川はストラスブールとバーゼルの間にあるヴィオメニルから流れリヨンでローヌ川に合流します。

 

下記の地図を見てわかるようにリヨンの中心部は2本の大きな川が流れ、左がソーヌ川右がローヌ川、市街地は3つに分かれています。

 

右のローヌ川とソーヌ川にはさまれた中州状のPresqu’ île(プレスキル(小さな半島))

 

左は旧市街(ローマ帝国時代の中心地)

右はTGVの発着駅のひとつ、Part-Dieu(パール・デュー)駅周辺のビジネス街で再開発も行われている現代的な地区。

 

 

美食の街といわれるリヨンですから、朝食はホテルでは食べずリヨンでと決めていました。

が・・・9時という微妙な時間でランチに差しさわりのないお食事。

 

 

 

ほんとうはクレープを食べたかったんだけど・・・

この時間はカフェしか開いてなかった(´;ω;`)ウゥゥ

 

チョコケーキとカプチーノ。

 

 

レモンタルトも。

 

 

腹ごしらえも終え、まずはサン・テグジュペリの像のある公園へ。

 

 

 

がら~としたなんとも殺風景な広場に出ました。

ベルクール広場といってフランスで3番目に広い広場だそうです。

 

ルイ十四世の像が唯一、広場って感じ。

 

 

このルイ十四世の騎馬像はフランス革命のときに溶かされちゃったんだそうです💦

しかしかのナポレオンが再建を命じ今のようになりました。

 

 

Googleマップを確認すると、お目当てのサン・テグジュペリ像はこの近くにあるみたいなんだけど・・・

広場の端っこの端っこに狭い舗装された道があり、そこに隠れるようにあった~

同じ広場とは思えない残念さ・・・

 

 

なぜに、こんな端っこの端っこにあるかというと、そのすぐ近くに彼が生まれたアパートメントがあるそうです。

星の王子さまに因んだグッズを買いたいと考えていましたが、まったくなし!

こんな世界的に有名な作品お土産がないことに驚きました・・・

リヨンの空港にサン・テグジュペリの名前を冠してるのにね~😥

 

サン・テグジュペリと星の王子さま、そして台座に彫られているのはバオバブの木なんだそうですΣ( ̄□ ̄|||)

 

 

生誕日、消息を絶った日付とともに星の王子さまからの抜粋が刻まれています。

 

 

J'aurai l'air d'être mort et ce ne sera pas vrai…

僕は死んだように見えるでしょ?でもね本当はそうじゃないんだ・・・

と書かれているとAIさんが教えてくれました~(´;ω;`)ウゥゥ

 

私自身、幼少のころに読んだアンデルセンの童話が精神的な部分の基礎となったように

子供でもない大人ともいえない時期に多大な影響を与えた人物は宮沢賢治と共にサンテグジュペリでした。

 

そんなサンテグジュペリ・・・フランス語に無教養丸出しで

サンテ・グ・ジュペリだと信じて疑わなかった(≧▽≦)

テグジュペリなんていう苗字、聞いたことないもの(≧▽≦)

おそらくフランス語表記を見たことなかったのね💦

 

Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, vicomte de Saint-Exupéryの「de」がつく姓は

貴族です。サンテックスが愛称。

 

改めて考えてみると宮沢賢治とサンテグジュペリの作品に通底していることって

似ていると思う。

 

人間にとって死は避けられない事実。しかし人間が自らを犠牲にしてでも他の人間の為に勇敢で愛をもちその運命を受け入れることで永遠に生きるという考え方。

「南方郵便機」や「人間の土地」そして「星の王子さま」を読むと死生観と共に人類の作り上げてきた文明に対する尊敬を感じることができ、また希望のある未来を信じる姿勢が読後の感動になるのだと思います。

 

そんな大きな影響を受けたサン・テグジュペリの像はもっともっと

華々しい形であってほしかった~

マルセイユ湾に散った彼らしいといえば彼らしいか・・・

 

さ~て、帰りのバスは14時過ぎです。

感傷に浸っている暇はありません!!!

 

 



丘にそびえたつ大聖堂に向かって歩き出しました。

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