新Y’sクロニクル

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【2025年9月フランス・リヨン編③】リヨンのシンボル『The basilica Notre-Dame of Fourvière 』爽やかブルーが印象的。

 

フルヴィエールの丘の上に建っているので実にシンボリックな教会は日本語訳では

ほとんど『ノートルダム大聖堂』とか『フルヴィエール大聖堂』となっているけれど、

タイトルにあるように『The basilica Notre-Dame of Fourvière 』で正確にはバシリカなのだ。

 

リヨンの大聖堂はフルヴィエールの丘のふもと、あのケーブルカーの駅のすぐ近くにあり千年の歴史を持つ『Cathédrale Saint-Jean Baptiste』があるのにも関わらず目立つという理由でか?

本家大聖堂の日本語訳は「サンジャン大教会」を当てていることも多い。

 

 

フルヴィエールの丘といえばリヨン発祥の地、ローマ時代にガリアの中心として

造られた街ではあるが、このノートルダム大聖堂と呼ばれる教会の歴史は19世紀からと新しめ。

 

 

リヨンのノートルダムとパリのサクレ・クールは共に19世紀後半フランス第三共和政の発足=社会主義(コミューン)に対するフランス国民の勝利そして近代フランスの罪を贖うために市民の献金によって両教会ともに丘の上に建てられました。

また第一次世界大戦後ドイツに対する復讐のシンボルともなりました。

 

当時ネオ・ゴシックが建築の主流でしたがロマネスク・ビザンチン様式を採用しています(サクレ・クレールも同様式)

 

ファサードはゴシックの傑作と言われるパリのノートルダム大聖堂に似ていますよね?

 

 

パリの大聖堂もファサードはロマネスク様式に近いのです。

 

 

ノートル・ダム=我らが貴婦人=聖母マリアの教会だけあって、あちらもこちらも

マリア様。

 

 

この教会は2層になっています。

下部(教会内部より階段にて通じている)はペストの流行で聖母マリアに終息を祈願し、それが叶えられた事で1643年に小さな教会堂が建立され1870年台には上記の理由で上層の現在の教会が作られることとなりました。

 

 

ドアを開けて中に入ると想像以上の荘厳な聖堂で驚きました。

↓の洗礼盤、足しか写ってないのはマリア様かな~???

なんという中途半端な写真・・・

 

 

わ~綺麗✨と呑気に撮影していたら、なんと!!!ミサの最中Σ(・□・;)

 

 

撮影もそこそこに椅子に座ったら係りの方が日本語の教会案内を持ってきてくれました。

パンフレットを頂いたので途中で退座するわけにもいかずミサにあずかりました💦

 

終了後にそそくさと美しい内部を撮影。

 

ステンドグラスやモザイク画は、古い教会では見たことがないような

爽やかな水色が中心で、そこに金銀が使われて、今までいやというほど立派な教会を見慣れていますが今までとは違ったテイストに心を奪われました。

 

 

「マリアと教会」と題されたモザイク画。

431年エフェソス(現在のトルコ)公会議においてマリアに「神の母」という称号が与えられ三位一体説を否定したネストリウス派を異端とした歴史的会議を描いたものです。

エフェソス会議を調べるとかなり多くこのモザイク画が使用されていました。

 

余談ですがイエスを人間とし異端とされたネストリウス派は中東から東に広がり中国で景教となりましたが、日本の仏教も(特に浄土真宗)その影響を受けているとも言われています。ゲルマン人の間にも初期はネストリウス派が広まっていました。

 

 


↓のモザイクはレバントの海戦を描いた作品。

 

1571年オスマン帝国とキリスト教徒同盟が戦った海戦でカトリック教会では聖母マリアへの祈りの成就と考えらえているんだそうです。

 

 

とにかくこの教会のマリア様は御心が広いとみえてペスト終息だけではなく

プロイセンの侵攻からも救ってくれナポレオンの甥、ナポレオン3世、リヨン大司教などによる祈りにも応えてくれそのお礼に宝石類などの献納、もちろん一般市民の病回復、奇跡などでも応えてくれるので寄付が集まるのだそうで、その寄付でこのような立派な教会の維持管理ができるのですね~

 

下層教会の見学はしなかったのですが(存在を知らなかった(笑))行けばよかった~

世界から集められた11体のマリア像があるそうです。

www.fourviere.org

見学を終え外に出ると素晴らしいリヨンの眺め✨

 

 

教会見学&素晴らしい眺めで満足、満足。

 

帰りは教会すぐのケーブルカーで市街地へと降りていきました。

 

 

vieux  lyon駅からほどなく正真正銘の大聖堂がΣ( ̄□ ̄|||)

リヨンを訪れる前に調べると、こちらは「サンジャン大教会」と表記している場合が

多く知らなかったわ~

横を通った時になんかわかんないけど由緒ある建物ね~って思ったもの(≧▽≦)

 

 

 

『 Cathédrale Saint-Jean Baptiste』現地だと大聖堂じゃない・・・

日本語だと『洗礼者聖ヨハネ大聖堂』

 

個人のイメージなんだけどねフランス語のジャン、英語読みだとジョンとかジーンとか

軽くない???綴りを見ると確かに・・・なんだけどヨハネってきくと恐れ多いって感じだけどジョンよ?ジャンよ?

日本の記事で聖ヨハネ大聖堂って記してるの見てないし大聖堂でもなくサンジャン大教会よほとんどが😥

 

こちらこそリヨン大聖堂と呼べるもので6世紀の古い教会の上に1180年着工1476年完成のリヨン大司教座。

そしてこれも世界史のテスト頻出1245年リヨン公会議が開かれたという由緒正しさ!

 

これも、それも帰国後ブログを書くにあたって知ったことで💦

私の旅行のモットー「その地の大聖堂へはとりあえず行っとけ」が実行できなかったよ~(´;ω;`)ウゥゥ

 

CATHÉDRALE – Cathédrale Saint-Jean Baptiste

 

カテドラルとバシリカの日本語訳統一してほしいわ・・・

バシリカでカテドラルもあるからその場合は大聖堂ってこともあるがバシリカだけだと

大教会のほうが適当と思われるよ。

 

↓ソーヌ川を渡って正面よりサンジャン大聖堂を撮影。

 

 

ローマ遺跡と大聖堂より有名なフルヴィエールのノートルダムの見学を終えバスで

ポールボキューズ市場に向かいます。

 

 

ソーヌ川の岸ではマルシェが開かれていました。

 

 

今回はいたるところでマルシェに遭遇しました。

 

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