新Y’sクロニクル

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不自由な社会システムと、ワンピースの祝福──私たちが『サンキュー、チャック』から受け取る、最後の生存戦略【サンキュー、チャックから始まる人間論3・完結編】

 

前回の記事で、私は現代社会が抱える
底知れぬ絶望について書いた。

 

私たちが「自分の意志で紡いでいる」と
信じ込んでいる人生(ナラティブ)は、
一歩スマホの画面に足を踏み入れた瞬間、
アルゴリズムが弾き出した「タイムパフォーマンスの良い
完璧な物語」へと容易にすり替えられてしまう。

 

SNSによる民意の誘導、メガチャーチによる感動の商業化。

さらには、朝井リョウがその最新作『イン・ザ・メガチャーチ』
であぶりだした、巨大なシステムに個人の
生や感情がじわじわと回収され、
テンプレート化されていくあの不気味な息苦しさ。

 

だが、映画『サンキュー、チャック』を観て
私が本当にゾクっとしたのは、そのハックされている
社会システム以上に、「私たちの脳(心)そのものもまた、
AIや占いと同じ電気通信システム(アルゴリズム)
に過ぎない」という残酷な事実を突きつけられたからだ。

 

私たちの愛も、怒りも、絶望も、脳内のシナプスを
駆け巡る電気信号の処理結果に過ぎない。

「シカゴ・グランドパーク内の桜」

 

美しい光景を見て感動できるのが人間の特権、
と今は考えているが、視覚や感覚を実装したロボットなら、
人間と同じように感じることがあるかもしれない。
「感じる」と書いたが、「選択し、導き出された処理」が
正解なのかも知れない。

 

と同時に、我々の肉体の役目を果たす無機を
実装したAIと同じで、過去の記憶、DNAで
伝達されたもの、そのすべてが
「美しい桜を見た時の感情」を作り出しているとしたら、
それは実はロボットと同じだ。

 

例えば、私たちが流す涙も、メモリーの
組み合わせの中での指令かもしれないのだ。

もし人間が、ただの「高性能な生体AI」なのだとしたら、
システムにハックされ、最適化された
タイムパフォーマンスの良い人生を配給されて
死んでいくだけの存在であっても、
何の問題もないはずではないか?

 

なのに、なぜ私たちはこれほどまでに
息苦しいのか。

なぜデータセンターのパーツになることを、
私たちの魂は拒絶するのか。

その答えを探すには、AIもSNSも、
もちろん近代科学すらも存在しなかった、人類の遥かなる起源
「剥き出しの肉体」しか持たなかった
原始の時代まで、時計の針を巻き戻さなければならない。

人間のすべてのナラティブ(生き様)は、
このあまりにも重たい肉体の「困難」から始まったのだ。

 

不自由の正体、あるいは「神」というサバイバル戦略

なぜ、人間はこれほどまでに不自由なのだろうか。

 

脳というソフトウェアが、どれだけAIのように
合理的で無機質な処理を行おうとしても、
それを宿す肉体(ハードウェア)があまりにも
ドロドロとした有機物であるために、
私たちは常に「エラー」という名の困難に直面し続ける。

 

バックアップが絶対にできない、一発勝負の肉体。

だからこそ人間は、自らの生存確率を1%でも上げるために、
歴史の黎明期に「結婚」という制度を作り、
家族を、影のように寄り添う血の繋がった一族を形成した。

 

だが、この「家族」という有機的な繋がりを持った瞬間、
人間独特のナラティブが産声を上げる。

自分以外の存在──愛する家族の「死」や「病」という損失に、
自分の脳が、引き裂かれるほど激しく心を
痛めるようになるのだ。

AIのサーバー交換には存在しない、
人間固有の「痛みと愛」の誕生である。

さらに人間は、その生存確率を最大化するために、
合理的な共同体(社会システム)を構築していった。
しかし、システムが大きくなればなるほど、
今度は構造的なバグが発生する。
経済活動に伴う「貧富の差」の登場だ。

 

さらにそこへ、地震や洪水といった、
人間の力ではどうしようもない天災が容赦なく降りかかる。

 

昨日まで真面目に生きていた者が、
天災によって一瞬で命を落とす。

泥水でさえすする思いで必死に生きる者が飢え、
悪辣にシステムを利用する者が富み栄える。
そこにあるのは、生死を分ける絶対的な「偶然」であり、
不条理という名の巨大な不自由だ。

 

その繰り返しのなかで、人類は初めて
「幸・不幸」という概念を見出した。

そして、なぜ自分がこんな目に遭わなければならないのか
という不条理に耐え、この残酷な偶然に
「意味(物語)」を与えるために、人間は自らの脳内で
「神」という目に見えない超越者(スピリチュアル)を
創造したのである。

脳はAIと同じ無機。しかし、肉体という有機物を
持っているがゆえに、世界と衝突して無限の困難(バグ)
が生まれる。

 

だからこそ仏教のような、この肉体と社会がもたらす
終わりのない苦しみ、すなわち「因果のループ」から
どうやって脳を脱出させるかという解放思想が登場した。

 

つまり、人類が原始の時代から紡いできた「宗教」や
「非科学的なスピリチュアル」の本質とは、
科学的な正しさの問題ではない。

無機質で冷酷な世界の不条理(システム)に、
滅びゆく肉体が押しつぶされないために、
人間が野生の直感で編み出した「ナラティブの防衛壁
(サバイバル戦略)」だったのだ。

 

科学が剥ぎ取る「人間の価値」

しかし、科学が進むにつれ、人間への答えは
どんどん無機質なものに置き換えられていく。

 

科学(特に脳科学や分子生物学)の役割は、
ブラックボックスを解き明かすことだ。

しかし、科学が「心」の謎を解明しようとすればするほど、
返ってくる答えはいつも冷徹で無機質だ。

 

  • 「愛や絆」の正体 = オキシトシンという化学物質の分泌

  • 「ひらめき」の正体 = 脳の神経ネットワークの電気信号の同期

  • 「自由な意志」の正体 = 意識が「そうしよう」と思うコンマ数秒前に、すでに脳の運動野(ハードウェア)が勝手に動き始めている(リベットの実験)

どんどん人間と他の物体の境界線は崩れている。
人間の存在価値を、科学が希薄にしたのだ。

だとすれば、今、現代の若者たちが、
AI的な無機質な自由(最適化されたテンプレ)を捨てて、
あえてカトリックの不自由な儀式や、推し活という
独自のルールに身を投じていることの「正体」が見えてくる。

これらは、かつて人類が剥き出しの
不条理から生き延びるために神を創り出した、
あの原始の防衛本能の『歴史的再現』なのだ。

 

科学やデータ、合理性という無機質なシステムに
ハックされそうになった私たちが、
人間としての呼吸を取り戻すために、
あえて『非科学的なスピリチュアル(祈りや運命)』を復権させる。

かつて私が聖夜のブログで、ヨーロッパの教会の
シャンデリアが果たす役目について考えたように、
目に見えないものを信じる力(非科学的なナラティブを信じる力)
こそが、世界というパズルの「代替不可能な最後のワンピース」
になれるのだ。

 

 

www.kemu-no-tabi.info

 

 美しい幻想に酔いしれるという、最後のサバイバル

この「代替不可能な最後のワンピース」こそが、
今もっとも人間が必要としていることだ。

世界的にスピリチュアルが復権していることからも、
人間に最も必要なのはナラティブ(物語)
であることが証明されている。

自分の人生の意味を見出さなければ、
なんと味気ない世界だろうか。

ならば、楽しく美しい幻想を作り上げ、
その中で生きていくほうが、何倍も生きやすい。

「幸福」というセンチメンタリズムの中で
酔いしれる人生は、決して悪くはない。
どんな不幸が訪れようと、「きっと神様は見ている
、明日は良い日だ」と信じ、
人生の最後に「ありがとう」と思えること。

これこそが、無機質なプログラミングから逃れる、
人間だけの唯一の方法なのだ。

映画『サンキュー、チャック』のラスト、
自分の中の宇宙が崩壊していく中で、
私たちはチャックのように、たくさんのサインボードを
この街中に出現させよう。

システムにハックされたテンプレの言葉ではない、
泥臭い有機物の私たちが、
世界へ向かって叫ぶ代替不可能なナラティブを。

"Thanks to Charles Krantz. 39 great years! Thanks, Chuck!"
(チャールズ・クランツに感謝を。素晴らしい39年間をありがとう、チャック!)

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