新Y’sクロニクル

下町在住、三丁目の夕日時代に生まれた主婦が海外旅行を中心に美味しいものなどの情報共有そしてプロゴルファー松山英樹の応援も!

アジサイがお家でも満開そして沖縄慰霊の日に思う事

アジサイ色のお部屋

 

6月23日は沖縄慰霊の日だった。

広島・長崎の原爆記念日や終戦記念日は

知っていても沖縄の事は「そういえば・・・」

くらいの気持ちだった昨年までは。

 

調べるとこのような日。

 

1945年6月23日に沖縄防衛にあたっていた
日本軍司令官(牛島満中将ら)が自決し、
組織的な戦闘が終わったとされることに由来します。
実際にはその後も戦闘は続きましたが、
この日を節目として追悼が行われています。

 

先月から今月にかけて私は父方のルーツを

探しをしていた(私の旧姓ということになる)

 

父が亡くなった時に取っていた戸籍謄本の詳しいやつ。

正式な名称は忘れた(≧▽≦)

それを眺めていて父の兄が昭和20年5月5日に

沖縄の首里で戦死とあった(死亡時刻不明)

 

子供のころ父の実家に行き仏間に

その兄(私の叔父)の写真が飾られていたのを

覚えている。

こんな帽子を被った肖像画だ。

 

 

父から沖縄で戦死したことは聞いていたが

👆の帽子姿だったので飛行機で海で亡くなったと

ばかり思っていた。

父から詳しいことは聞いたことは無いし、

おそらく父もそして祖父母も詳しいことは

知らなかったのだろうと推測する。

戸籍からすると22,3歳ではなかったか?

 

今はネットでなんでも調べられる。

首里という地名と死亡日で調べると

その日の前後は沖縄戦の中でもエポックメイ

キングな日で詳しいことが分かった。

 

それはそれは痛ましいことで、

初めて会うことがなかった叔父を思い

涙した。

 

ルーツ探しに大事な宗派を聞きたく

父の出身地に住む従妹に電話してもいたので、

(宗派はルーツ探しにとても大事なファクターで

父方は高野山真言宗だった)

AIのお力を借りルーツさがしも終わり

従妹に我が一族の物語を献上した。

 

その時、あまりにも沖縄で戦死した叔父の事で

ショックを受けたので当時の状況を添えて。

 

すると従妹から電話が来てある旅の

思い出を話してくれた。

 

十数年前に沖縄に旅行に行き、ひめゆりの塔資料館

であまりの事実に気分が悪くなり

途中で退館したこと。

そして戦死者の名前が刻まれている

「平和の礎」に行き同じ地方出身の同じ姓を

見つけ今でも覚えていること。

その名前は歩いていた通路側にあったので

目についたらしい。

 

従妹は私より10歳上だが、父親が小学校高学年で

亡くなっているので父方の事は全く知らない。

ただ父方の家に戦死した男性の写真が飾られていた

事だけは覚えていたが、沖縄で亡くなったのも

知らなかった。

あの時見た名前が実の叔父さんだったとはと

驚いていた。

その叔父の名前は「幸太郎」という。

 

今凄いのはその平和の礎に名前が刻まれている場合、

どの石碑に刻まれているかわかるのだΣ( ̄□ ̄|||)

 

https://heiwaishiji.pref.okinawa.jp/search/hondo

 

それの結果を従妹にメールしたら、

まさにその場所だと。

あの時は同姓の兵士という認識で

手も合わせなかった・・・と話していた。

 

昭和20年5月5日首里で戦死。

所属していた連隊も分かった。

前日に日本軍は米軍に総攻撃をかけ惨敗した

翌日で首里の本部を守っていた。

あのひめゆり学徒隊も同じ塹壕で

過ごしていたのだ。

 

当日の事を調べるとあまりの非人間的な

状況で読むに堪えない。

 

しかしながらこの後はもっと悲惨だった。

 

恥ずかしい話だが、この事実をあまり知らなかった。

この後は日本兵が沖縄の人々を殺したのだ。

しかしこの日本兵を責めることはできない。

責められるのは沖縄慰霊の日の重要人物。

牛島中将などの高官だ。

自分も自決しまわりにも住民にも自決を

促したのだから。

 

味方が味方を殺し、軍隊は国民を守ってくれなかったのだ。

 

で、あの遠藤周作の「海と毒薬」に書かれたことは

この沖縄戦が関係していたのだ。

高校生の時に読んだきりなのですっかり忘れていた。

この物語は「白い人、黄色い人」と続き

思春期の忘れられない物語となった。

 

今までは遠い話だった沖縄戦。

ふと見た戸籍情報から他人事ではないのだ

と感じた。

 

従妹は「これは幸太郎さんからの

メッセージだ私達は平和のために

声を上げていかなければならない」

と言っていた。

私もこれは会う事の無かった

叔父からのメッセージだと思う。

 

 

その戦いの時、沖縄は梅雨時で

飲まず食わずの兵隊は、その泥水を飲んだと。

そして蒸し暑い状況は負傷兵への容赦ない

環境になったと。

 

梅雨に咲く花・・・沖縄にもあるのかなアジサイ?

 

 

夏も近いのでブルー系の小物を置いた。

 

 

沖縄のガラスの器とブルーのアジサイ。

慰霊の日の前の日に変えたのだけれど、

なんかシンクロしてるな~と。

 

今朝、従妹は
「その石碑は海が見えるところにあったの」

と話してくれた。

 

私は良かったと思った。

父の実家は海沿いの街にあるのだから。

その兄の幸太郎さんも海を見ると

安らぐだろうと思ったから。



 

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