- 広大な庭園のベルヴェデーレ宮殿、クリムトの作品群のある絵画館です。
- Botanischer Garten der Universität Wien(ウィーン大学付属植物園)
- クリムトが結成した分離派の会館「セセッション館」
2019年であるこの年はオーストリアと日本が国交を結んで150周年という
おめでたい年だった。
その影響が私の身に起きようとは65%くらいしか考えていなかった・・って・・
考えてはいたワケだね(≧▽≦)
そんなに美術という物に興味があるほどでもない私もクリムトは
好きな画風だ。
19世紀頃の退廃的な絵画などの美術品は、な~んとなく昔から素敵光線を
私に放ってくるのだった✨ ✨ ✨
ウィーン行きが決まって引っかかっていたのは東京都美術館で開催されていた
クリムト展。
会期は2019年4月23日から7月10日までだ。
9月にウィーンに行くので、ぎりぎり間に合うか?クリムトの里帰り?
などと甘く考えていた。
そんな時に、ある情報が目に入った「豊田市美術館クリムト展7月23日~10月14日開催」ダメじゃん、完全にアウトじゃん(>_<)
ウィーンでクリムトの代表的作品見られない事、決定!!!
広大な庭園のベルヴェデーレ宮殿、クリムトの作品群のある絵画館です。
ベルヴェデーレ宮殿はリング通りから、それほど離れていない。
地下鉄のカールスプラッツ(U2,U4)やQBBのQuartier Belvedere(カルティエ・ベルヴェデーレ)駅の近くです。
私はトコトコ歩いてリング通りの外側にやってきたので(カールスプラッツ側)
まずはベルヴェデーレ宮殿の下宮に辿り着きました~
ベルヴェデーレ宮殿には上宮と下宮がありクリムトは上宮で見られ、
下宮は特別展を開催しています。上宮は15ユーロで下宮との
コンビネーション・チケットは22ユーロです。
下宮からこんな木と木の間を抜けると・・・
上宮の庭園に出ます。
とにかく、ここも広いのよ( ゚Д゚)
ずーっと書いているけれど、9月のウィーンは暑かったのよ💦
噴水のところで下宮方面をながめれば、かなり歩いて来たワケです。
かなり向こうにベルヴェデーレ宮殿上宮が見えます。
(赤い屋根の建物ね)
撮影ポイントなので、皆さま写真撮影にいそしんでおられます。
面白いポーズのご婦人もいらっしゃいます。
どのようなコンセプトのポーズなのでしょうか?
暑いし、そこそこ歩く気力もそがれクリムトのない美術館はパス!
このベルヴェデーレ宮殿は18世紀にハプスブルク家に仕えていた
サヴォイア家のおぼちゃまによって造られましたが、のちにマリア・テレジアが
購入しマリー・アントワネットも暮らしたようです。
あのウィーン会議の時には舞踏会が開かれました。
なんだかヨーロッパ各地に「ベルヴェデーレ」って見るよな~と思っていたら、
「Belvedere」って「美しい眺め」という意味なんですって~
Botanischer Garten der Universität Wien(ウィーン大学付属植物園)
ベルヴェデーレ宮殿上宮行きをあきらめた私の前に現れたのは、
「Botanischer Garten der Universität Wien」という案内板。
この辺りはウィーン大学の各学部があるのだ。
18世紀からあるこの植物園はウィーン大学生命科学学部の施設。
8エーカーの広さ=東京ドーム0.7個分という半端な広さ(≧▽≦)
しかし東京ドーム0.7個分って広いのよ~木々が生い茂り散歩にはちょうど良い♬
日本の松や山野草まであった(@_@)
日本の金魚が気持ちよさそうに泳いでました。
日本から遠く離れたウィーンで日本の山野草や日本風の池に金魚が見られるなんてね~
竹林まであって驚きましたよ。
クリムトが結成した分離派の会館「セセッション館」
クリムト不足な私の目の前に現れたのはキンキラなのに私の琴線に触れる
この建物✨
金色に光るドームは「金色のキャベツ」と呼ばれています。
でも、アップで見ると月桂樹だということがわかります。
これこそがクリムトが結成した分離派絵画の専用展示場「セセッション」
ユーゲントシュティール様式で建てられた美しいアートギャラリー💖
ユーゲントシュティール様式はフランスのアール・ヌヴォーと同じ意味。
やっぱりアール・ヌーヴォやアール・デコ様式が好きなんだな~💖
正面から撮った写真、センス良すぎじゃない???
分離派の象徴メデューサ×3がドアの上にあしらわれております😍
このギャラリーの地下にはクリムトの大作壁画「ベートヴェンフリーズ」が
あるんだってよ~
知らなかったもの・・・第9を主題とした超大作だって~(´;ω;`)ウゥゥ
ドイツ語読めないからね~知らなかったわ~今調べていてわかった・・・
ということで~クリムト好きな方はここにもぜひ足を運んでくださいね~
ちょこっと「分離派」
19世紀後半フランスでは印象派と呼ばれるモネ、ドガ、ドラクロワ、
それに続くポスト印象派と呼ばれるゴーギャン、ゴッホ、セザンヌといった
それまで圧倒的な権威であったアカデミーが認める
新古典派などローマ美術を起源とする芸術に世俗的なモチーフを
取り上げた画家達が登場してきました。
しかしウィーン美術界は保守的な状態が続いており、それに不満を持つ画家たちがおり
その中心となったのがクリムトです。
ウィーンの新進芸術家グループが分離派と呼ばれました。