新Y’sクロニクル

下町在住、三丁目の夕日時代に生まれた主婦が海外旅行を中心に美味しいものなどの情報共有そしてプロゴルファー松山英樹の応援も!

【2022年海外旅行納め弾丸ドバイ⑧】古いドバイで新しいドバイを感じるアル・ファヒディとアル・シーフ地区、ドバイ・ファウンテン鑑賞。

 

クリーク対岸で三大スークのゴールド・スーク、スパイス・スークを楽しみ

アブラと呼ばれる渡し舟でアル・ファヒデに渡り思いのほか小規模なオールド・スークをささー--と見てローカル食堂でランチをとりフライトの深夜2時までは時間がありすぎるので

オールド・スーク方面に戻りドバイ歴史地区を見学することに。

 

ペルシャ湾から続く運河(クリーク)沿いのオールド・ドバイ、アル・ファヒデ(バスタキヤ)歴史地区を歩く。観光地なのにトイレが綺麗!

 

ローカル・レストランはアル・ファヒデ駅方面、そこから船着き場がある

バスタキヤ歴史地区方面に戻ります。

 

 

ほんとうにヘンテコな歩道のドバイ・・・

白黒の縁石内が歩道なのよΣ( ̄□ ̄|||)

どこもそうなんだから~(あっつ!ニュードバイは違うわ~フツーだわ~)

 

上の写真に写っているキャメル色の建物はアラビアン・ティーハウス(行き損ねた例の)

で、そこの一帯が昔のドバイの街をそのまま残してある歴史保存地区『バスタキヤ』

 

 

「なんか想像より新しくない?」というのがバスタキヤ地区観光の感想。

ドバイでもっとも古い風景を残しているはずなのに。

 

「ドバイの発祥地!」「ドバイの歴史を感じる」その当時の家をそのまま

保存しているというふれこみだったが新しいんだよ~

新しいはず、ドバイの歴史って新しいんだね~

バスタキヤ地区は19世紀から1970年代まで使っていた建物を保存だもの。

 

 

 

アラブの旧市街って喧騒ってイメージを勝手に抱いていたけれど、

とても清潔で静寂。

 

 

まるでディズニーシーのアラブの街のように新しく感じた。

もちろん修復がされているんだけど、日干し煉瓦にように砂や粘土に藁などを

混ぜて作られた外壁を持つ家って、とても清潔感があり古く見えないのかな~?

 

 

アブダビからの民族がドバイクリークあたりに定住する前のドバイの人々は

真珠をこの船でとって生活していたそうです。

 

 

アラブの気候は暑い。

(12月のこの時期は最高気温も20度台ですけれど)

そこで、このような布で日差しを遮る仕組み(下の写真)

 

歴史地区では塔から材木が飛び出ている建物が見られるけれど、

これは「風の塔(バードギール)」といって風を通すことによって

室内を涼しくする建築法なんだって。

 

 

とにかく、高いところも低いところも木材が飛び出ているの(≧▽≦)

低いところはリフォーム用の足場にもするらしい。

 

この保存地区はお土産を売るお店やカフェなども多く、

スークより安心して買えるんじゃないかな~

日本人と見るや日本語で客寄せする店員を確認できなかったから。

 

可愛い靴やクッションなどの布製品が売られており目を引いたけど、

買いはしなかった(≧▽≦)

 

 

 

でね、驚いたのがトイレよ!!!

前日、トイレを探して複合施設を徘徊した前歴があるので

トイレサインは信用していなかったし、このような観光地は汚いと思い込んでいた。

 

で、トイレサイン通りに進むとありました。

 

 

トイレの建物からも、もれなく飛び出しているというか、突き刺さっている

材木(≧▽≦)

 

清掃員が常におり「有料かもね~」と中に入るとタダ。

 

 

 

このように写真を思わず撮っちゃうほど清潔🥰

驚いたわ~

 

そこそこ古いドバイから見る新しいドバイ。

 

 

古いというより、どこも新しいドバイ。

 

 

もともとのドバイの人ってアブダビから移住したバニヤス族の人たちなんだろうけど、

私たちにはドバイ人に見えても外国人労働者なのかもね~

お土産屋さんとかは・・・

 

 

 

冬場は昼間でも過ごしやすいですが、夏場などは夕方以降に観光客が

多くなるそうで、建物もライトアップされアラビア~ンな雰囲気を味わえるんでしょうね~

 

クリーク沿いをなおも歩くとアメリカ大使館とか政府の機関とかがあるところに出ます。

 

歴史地区から運河沿いに続くアル・シーフ(Al Seef地区)、オシャレなお店とゴージャスヨットと。

 

ドバイフレーム方面に歴史地区から歩いた。

クリーク沿いに歩くと、そこはアメリカ大使館、英国大使館などがある地区。

左手には歴史地区にあったような昔のドバイ建築、アールシーフ通りを挟んで

続いている。

 

とうぜん通りの向こう側(大使館側)の撮影は出来ません。

 

 

延々と続いているといったほうが良いくらい。

この古き良きドバイ建築のクリーク側には、これまた延々と商業コンプレックスが

あります。

2017年にオープンしたらしいので新しくモダンな施設だ。

 

 

対岸に見える左端の特徴的なビルはエミレーツNBDの本社。

エミレーツNBDはUAE最大の銀行。

リテールだけじゃなく投資、信託とか、とにかく大きな銀行。

 

 

近代ドバイらしい建築の足元にはゴージャスなヨットとドバイらしい風景。

 

クリーク沿いに遊歩道になっていてベンチなどもたくさんあって

お散歩には良い施設。

 

 

中東料理も食べられるし、カフェやレストランもしゃれている。

とにかく延々・・・

 

 

あ~ドバイの空をエミレーツの飛行機が(⋈◍>◡<◍)。✧♡

空港に向かってる~

 

ここで喉も乾いてカフェにでも・・・って感じだったけど、

ピーンと来るところが無かったというか営業しているのかしていないのか

不明な感じで入り損ねた💦

 

歩き疲れたのでドバイフレーム方面にタクシーで向かおうと

アルシーフ通りに出たけれど官庁街でタクシーも少なく、

よ~やく空車を見つけ目的地を告げると乗車拒否されたわヽ(`Д´)ノプンプン

 

一人のドライバーはまだ言い訳しただけマシ・・・

なんでも自分の勤務時間も終わりだしナンチャラの時間だから(知ってる?って

聞かれてもナンチャラ知らんわ😡)って。

近いし戻る方向じゃないから拒否なんでしょうね~

 

しょうがないので駅まで歩いた。

目指してないブルジュマン駅に着いたΣ( ̄□ ̄|||)

そのまま再びドバイモールへ夕刻から始まるドバイ・ファウンティンを

見るために向かった。

 

 

水が躍る、ドバイ・ファウンティン、バージ・カリファとの共演!

 

というわけでブルジュマンからレッドLINEでドバイモールまで。

 

途中ドバイフレームが見えた~💕

世界最大の額縁。

 

 

展望フロアはビルだと48階にあたりドバイの街が見渡せる。

どの角度からもドバイの風景を美しく切り取ることができる黄金比で

造られてるんだって~

行きたかったな~

 

 

再びやってまいりましたドバイモール。

 

駅とモールを結ぶ通路からもバージ・カリファが見えます。

 

 

いい感じで夕刻も迫ってきてるわ~

 

 

明るい時間帯もドバイ・ファウンティン・ショーは見られるけれど、

そこは暗いほうはロマンティックよね~

 

夕方は6時から30分ごとに開催されます。

 

 

我々は6:30分からのショー狙いで向かいました。

 

 

モールの前に広がる湖、そこにスーク・アル・バハール側までかかる橋の上は

見た人、見る人、写真撮る人でごった返していた。

 

 

我々はスーク・アル・バハールで腹ごしらえをし、その時間を待つ。

(へへ~ここでついにルービー🍺にありつけた✌)

 

 

バグパイプみたいじゃの~バージ・カリファ。

 



さ~あアラビアン・ミュージックに乗せて始まりました噴水ショー!!!

 

 

これ噴水がいろいろな動きをして、想像より楽しい💕

音楽もポップとか色々なのに変わるのよ。

 

 

周りの風景も美しいわね~💕

 

 

なんだろう、この高揚感???

そうだ隅田川の花火の高揚感だ🎆

たった5分間の水の競演、でも永遠の何憶分の一の美しい1ページ💕

 

しかし一度モール内に戻って駅に向かうんだけど、これが凄い人でΣ( ̄□ ̄|||)

入り口近くは大混雑。どうにか駅に到着し安心。

 

水の映像を脳裏に焼き付け、荷物を受け取るためホテルに向かいました。

 

ここでチョコっとドバイの歴史、ドバイの発展は日本あってこそ?日本がドバイを動かした⁈

 

中東の古代史で登場しないドバイ。

近年になって急激にその存在感が大きくなったという印象。

なので存在が大きくなった経緯というか歴史を少し探ってみました。

 

17世紀以前のドバイについての記録はほぼ残っていないそうです。

9世紀初頭にアラブ人地理学者によって言及されたのが最古の記録。

そして16世紀後半になりヴェネツィア商人がこの地に真珠貿易の為、

立ち寄ったという記録があります。

 

近年の発掘調査などにより太古はマングローブ林だったドバイが干上がり

陸地となり紀元前にはデーツ(ナツメヤシの実)を栽培し農耕民族として定住していました。

5世紀には(ローマ帝国が東西に分かれ西ローマ帝国が消滅し今のヨーロッパが次第に形を成してきた時期ですね)ベトウィンの係留地になったそうです。

 

遊牧民のベトウィンは商人でもあるので、ここで真珠などを得て売買し宿泊施設なども出来ました。

遊牧民もある時から定住がはじまり、そのうちの1つの部族バニヤス族は今のUAEの首都であり面積の9割近くを占めるアブダビに定住し18世紀後半ドバイはその後アブダビの属国となりました。

 

19世紀初頭にバニヤス族は英国と協定を結び貿易が盛んになりドバイは重要な拠点となります。

バニヤス族のマクトゥーム家は今のドバイ・クリークに定住し、独立を果たしました。

 

貿易の拠点として発展し、この頃から外国人労働者の免税をきっかけに、さらに

外国から労働者は増加し、インドやパキスタンの貿易商がマンパワー目当てにこの地を訪れるようになりました。

しかし、まだまだドバイの主な産業は漁業や真珠取りでした。

そこに日本のミキモトの登場です⚡⚡⚡

 

1893年御木本幸吉により真珠の養殖が可能になり20世紀になるとドバイの真珠は

需要が激減しドバイは衰退するかと思った矢先・・・

1966年石油が掘り当てられました。

その後は豊富な石油資源と共に今のドバイの繁栄は続いています。

 

ざー-とこんな感じで、あんがい新しい建物が多いのも納得だし、

ビリヤニやカレーが食べられているのも納得です。

またドバイで英国風と感じたのも正解で長らく東インド会社を通じて英国との

関係も深く1971年英国の東スエズ以東からの撤退に伴いUAEが誕生という

経もありました。

 

ドバイの今があるのは石油のおかげですがポスト・オイル時代を見据え、

豊富な資金を今のような金融、観光にシフトさせる国家戦略にあるのでしょう。

また砂漠地帯であるため、都市設計の自由度が大きく貢献しているのかもしれません。

 

なおドバイに住んでいるアラブ人は人口の10%にすぎません。

 

 

 

');