アンデルセンの物語は読んでいても生涯については貧しい靴職人の息子という
事くらいしか認識していなかったし大人になってアンデルセンから遠ざかっていたので
興味を持った事も無かった。
そういう意味では、そこまで興味を持って見学したわけではない子供時代の家も、
改めて物語を読むにあたって深く理解する一助になりました。
何十年ぶりかに再読した「あの女はろくでなし」
タイトルだけは暴力的なものだったので覚えてはいたけれど、
これは母親へのレクイエムだったのかと胸が熱くなってしまった(´;ω;`)ウッ…
アンデルセン自身がこの作品を母親のある情景を見て書いたものだと自注があります。
母親は私生児として貧困家庭に生まれ文盲でしたが大変信仰心の篤い女性でした。
結婚前は売春などもしていたそうです。
教育の機会など望めない環境が、どれだけ悲惨な事かは映画「ニワトリ★スター」で
名演に助けられ理解し、この「あの女はろくでなし」は物語を通じて、そうとしか
生きられなかった人々を深く考えざるを得ませんでした。
全集の付録のアンデルセンが子供の頃のオーデンセとほぼ変わりません!
生家まわりも大きく変わっていませんでした。
偉人の生家など、あまり興味を持った事が無かったけれど、ここまで来たので
見学することに。
とても狭い内部ですが、そこそこの料金でした。
アンデルセン博物館との共通チケットを事前に購入すれば安いのですが、
ここのチケットをアンデルセン博物館で見せると割引になると説明を受けました。
デンマーク風長屋ですね。
ドアを開けるとすぐ記念グッズなどが売られています。
アンデルセン作の切り絵や絵などが展示されていました。
アンデルセンのお顔を拝み、なかへ。
↓アンデルセンというと、このような洋服を着ている印象。
この家にはアンデルセンが2歳から14歳でコペンハーゲンに出るまで住んでいたそうです。
靴職人の父親が22歳の時にアンデルセンは誕生し(母親は年上だったそうです)
1部屋しかない、この狭い家で両親から愛情を受けて育ったそうです。
母親と違い父親は本や自作の物語を読んで聞かせ、時には紙人形劇も自作で演じ
たと説明にありました。
ベッド1台で親子は寝ていたのでしょうか?
↑恐れ多くもケムのサイズでベッドのサイズ感もお判りいただけるでしょうか???
父親は貧しさから生活費を得るためナポレオン戦争に志願しますが、敗れたため
給料は支給されませんでした。
ますます貧しくなり父親は絶望の末、発狂し33歳の若さで亡くなってしまいました。
↑裏戸から見たお部屋。
幼いアンデルセンはこの裏庭がお気に入りで、植物の観察をしていたそうです。
アンデルセンの子供時代、この辺りは貧しい人々が住んでいたそうで、
このような長屋が今でも残されていました。
貧しいながらもアンデルセンは学校には通させてもらい後に大学へも
色々なパトロンの援助で通う事になります。
両親がどれだけ愛情をもって、このような境遇でも育てたかが伝わってきました。
「あの女はろくでなし」の最後のページはこのように結ばれています。
おかあさんは墓地に葬られました。
墓地は墓地でも、それは貧民墓地でした。
・・・中略・・・
「なつかしいおかあさん」と、男の子ははらはらとなみだをながしながらいいました。
「ほんとうにおかあさんは、ろくでなし女だったの。」
「いいかね、ぼうや、ね、ぼうやのおかあさんは、ほんとうに役に立った人なんだよ。天国にいらっしゃる神様だって、きっとそうおっしゃるに違いないさ。世間の人には、かってにいいたいようにいわせておくがいいさ。あの女はろくでなしとでもなんとでもさ。」
誰でも知っている「マッチ売りの少女」も母親の子供の頃を念頭に置いて
書かれたものなのかもしれません。