新Y’sクロニクル

下町在住、三丁目の夕日時代に生まれた主婦が海外旅行を中心に美味しいものなどの情報共有そしてプロゴルファー松山英樹の応援も!

日本の英語力では日本は危ないんじゃない?日本の文化は二の次って事で。

「サマリーは英語だったよサマリーだけ!」
リビングのドアを開けるなり帰宅した夫が私にそう言った(-。-)y-゜゜゜

「は???」
「サマリーだけ英語で書いてたんだよ」
「は???」

「朝、ママが俺に言ってただろう~論文だよ、論文、サマリーだけ
英語で書いてたっていうのを思い出して、それ以下は日本語!」

「はいはい・・・あれね~日本の大学の評価が低いのは英語の論文数が
少ないってやつね~」

その日の朝(今週の月曜だけど)日経の記事を読んでいて、なるほど~と思った事が
あったのだ。

世界大学ランキングで知られる英国QS社のCEOのインタビュー記事だった。

「日本は欧米以外で、いち早く母語での高等教育を実現した国だ。
だからこそ教育機関と研究で高い成果を上げ、日本を成功に導いた。
素晴らしい事だが、過去の成功ゆえになかなか国際化に目が向かない。
高等教育の国際化が国の経済的成功に影響する事を大学はもっと認識すべきだ」


               2月4日日経14面の記事より引用

日本語が公用語なかぎり国際競争力では勝てない?

私が「な~るほど~」と思ったのは「いち早く母語での高等教育を実現した国」という部分だったのだけれど、
その時にこんな話もしていたのだった。

世界大学ランキング調査会社で信頼性と影響度で計るトップ3はQS,英タイムズ社のTHE,中国のARWの3つ。
THEは研究と国際化を重視し、THEで発表する日本の大学の評価は低く感じていた。
それは英語での論文数が少ない事が要因だと記憶にある。

日本の高等教育機関は研究の質では準トップクラスの評価を得ているけれど、
多くは日本語で書かれている為、論文引用数が極端に少ない。
質の高い研究が、世界の多くの研究者の目にとまらない為に相対的に
大学の評価も低くなってしまう。

その話と「ネパールの大学では授業全てが英語なんだって~」などと話していた。

それが夫の頭にずーっとひかかっていたのだろう・・・
その結論が「サマリーだけは英語で書いた」なのだろう・・・
サマリーよりサラリー・・・

うちの夫は以心伝心という言葉を信じて疑わないふしがあり、
自分の考えている事は(遠い場所にいても)瞬時に私も理解し同じ考えのプロセスを
経ていると常に信じているらしいとしか思えないのだ。

「サマリーをSummaryって英語で表記したって事?」
「ちがう、ちがう!サマリーをだよ」
「う~ん・・・論文の要約部分を英文で書いたって事?」
「そうそう、そうなんだよ、それ以下は日本語で書いてた」
「そういう事ね~タイトルは日英語併記だったの?」
「そうそう・・タイトルは英語も併記した。それで考えたのよ、サマリー、英語で
書けるんなら論文全体も英語で書けるだろう?」

夫が遠い昔グラジュエイテド・スチューデントの時代、遊んでばかりのだめだめ理系学生で
あってもいくつかの論文は書いて学会で発表の機会もあったわけだ。

「だいたい論文の英語なんて簡単なんだから」と夫。
「確かに~動詞で悩まなくてもいいもんね~形容詞とか副詞とかも少ないだろうしね」
「そうだよ、動詞なんて英語の専門書読めば直ぐわかるからね、ただ・であろう・
とかを断定に替えれば良いだけなんだから」
要するに、なぜに日本は英文での論文が少なかったのか?そんなに難しい問題でも
ないのに・・・と夫は朝から仕事が終わるまで考えていたのだろうと思う。

「論文は英語で書けても質疑応答になったら英語で答えられないだろうな~」
と夫は最後に付け加えた😞

公用語を英語にすると日本のアイデンティティは失われる?

英語が話せない、聴けない私の様な人間は、こんな世の中になるのなら
日本も公用語が英語だったなら・・・と考えてしまう。

上記の様に「いち早く母語での高等教育を実現した国」である日本。
古代から応用力が高い日本人ならではですが、この事が英語を習得する
チャンスから遠ざけてしまったという事なんでしょう。

日本においての高等教育機関である大学は明治の初期に東京帝国大学を手始めに、
順次、地方に開校しましたが今の様な文系はなく理系だけだったそうです。

それ以前の江戸後期から、あの福沢諭吉大先生が興した慶應義塾が日本で唯一、
英語(外国語)を学べる学校でした。
英語の概念を最初に日本語に置き換えたのは福沢大先生だというのは有名な話ですね。

維新の余韻がまだ残っている時代から「洋学ばかりでは日本人の心が失われる、
漢学をまず覚えるべきだ」という今と同じような批判が多かったようです。


福沢翁の豆知識~
「演説」「自由」「家庭」「権利」「幸福」「社会」などは全て翁が日本語に
置き換えた言葉です。
また「V」の表記を「ヴ」というように濁点をつけて現したのは諭吉です。

欧米に渡り諭吉が得た結論は「東洋においてなきものは、有形において数理と
無形において独立心である」という事でした。日本においてはこれらを軽く見ている
と気づいたのでした。

諭吉がヨーロッパに使節団として渡ったのは文久元年(1862年徳川家茂の時代です。
(その2年前、万延元年(1860年アメリカに渡っています)

その時の事情がとても面白いのです。

総勢40人弱でヨーロッパに向かいましたが、日本出発前に外国では食糧事情が
悪いという事で白米何百箱、宿で灯す金行灯60㎝もあるものを数十。ろうそく、
ちょうちんなどなど・・・船に積み込んで出発しました。

その当時ですから東海道の宿場に泊る・・・イメージだったらしいのすでが、
パリに到着し、宿を頼むと当てがわれたのはパリの王宮の外にあるホテル・
デロウブルという5階建てのホテルで室数600余り、当初は一行が数組に分かれて
投宿すると考えていたので、大変に驚き、また朝食に案内されたレストランには
山海の珍味、夜は各部屋、廊下に無数のガス灯が灯され、館内はストーブもないのに
セントラルヒーティングで温められ一行は非常に驚いたようです。
日本から持って行った白米の箱、行灯は途中で全てホテルスタッフにお願いして
ただで貰ってもらったという事でした( ´艸`)

余談ですが、私の母方の祖母は明治の終わりごろの生まれでした。
父親が60代の遅い子で、母親は後妻さんだったようです。
なので私の祖父は慶応時代の生まれで、やはり何かの一行でヨーロッパに渡り、その時の
話を祖母から子供の頃に聞かされましたが「頭はちょんまげでワラジを履いて刀を差して
ヨーロッパまで行って珍しがられたと父親がいつも話していた」と笑っていましたが、
諭吉の自伝を読むと、その祖母の話しを思い出し、くすっとしてしまいます( *´艸`)

さて・・・本題ですが、福沢諭吉が西洋のニュアンスを日本語に替え、それが今の時代にも
生きていますが、アメリカに渡った時に入手した英中辞典を元に日本語に置き換えたそうです。

各帝大などに進学したエリート層は英語の授業を受け、それを諭吉などの力も有り、
日本語として、さらに多くの人々に西洋流の知識を広めたわけです。

時を経て時代が新しくなっても、それが機能し日本も経済大国になりましたが、
一律で基準が高い大量生産時代を経て「応用力」の前に必要な「どこにもない技術」に
必要な独自性は育ちませんでした。国内で経済が完結し、大量で安価な輸出で儲かる時代は
終焉を迎えたのです。


全ての基準が英語になってしまっている現代「英語を母語としている国はずるい😡」と
言っていても時すでに遅しで迎合するしか日本の今の生活レベルを保つ道はありません。
英語が学校、会社で公用語になるレベルでなければ衰退しか待っていないのが現実です。

英語圏で英語レベルが高いのが北欧圏であるのはよく知られている事でしょう。
(現在のトップはオランダですが)
これ等の国はEU発足当時に英語が母語ではない事に危機感を持ち教育改革をしました。

また歴史的に英語に慣れ親しんでいた状況も今のレベルに達する要素だったのでしょう。
それぞれ小国であるので他の文化を取り入れなければ生き残っていけない事を知っていたのです。

スウェーデンなどは英語などと同じ言語の仲間ですが、フィンランドは全く違う言語体系です。
日本と言語環境は近いと言えますが、全く違う言語の為に小学校から文法もきっちりと教え、
発音そして小学校で学ぶ英単語は日本で中学から高校までに習う必須英単語を上回っているそうです。

幼い頃だと文法もゲーム感覚で抵抗感が無いと聴きました。
またテスト用で教えているのではなく、教わって間違ってもいいから英語で発表する、話すという事を
とても大切にしているそうです。

その様な環境で北欧諸国は高い生活レベル、知的レベルを保っています。

会社はほぼ英語が公用語、家庭でも英語交じりの母国語。

日本の英語レベルは北欧諸国などと比べるまでもなく、他のアジアが急激に日本を
追い越しています。

英語圏で英語教育に成功している国でアイデンティティの問題はないのか?
という事ですが、家庭では母語を使用するので「アイデンティティの喪失」までは
いかないようですが、もっと大きな問題が起こってきています。

英語の能力により生活格差、母語の知的分野での衰退が起こる。

たとえば役所でも会社でも英語がスタンダートになると、英語を話せない人々が
一般の職に就くという事がとても難しくなっています。
生活の格差が今以上に大きくなるという事です。

また最先端の技術などが英語で完結する為、母語への変換が行われず、母語での知識、技術の継承が
止まってしまい広く知識、技術が行き渡りません。
母語で技術や知識を更新できないという事は、その国の力も衰退するという事です。

なぜならば、母語が英語ではない国の人々がどんなに英語をネイティブレベルで話せ
ビジネスや研究に問題がないといっても、ある北欧圏の研究では同じ文章でも
母語での理解より75%しか理解できない、文意を読み取れないという結果が出ました。

母語を英語に完全に置き換える事はほぼ無理でしょう。
言葉の置換性は低く、その国の文化に深く影響されるからです。

言葉の背景を分かっていなければ、ニュアンスは埋められません。
器用な日本人は英語のある部分のニュアンスを採用して日本語化させていますが、
これは一番、英語の理解を阻害しているように思えます。

例えば日本語化している「ステータス」
これなどは日本では「社会的地位・身分」という意味で主に使われますが、
英語ではほぼ「状態」という意味合いで使われる事が多いと思いますし、
第一「ステータス」とは発音しません・・・(>_<)

日本語化していない単語でも実に多くは教科書で使われる非常に狭い使い方を
テスト用に押し付けられている気がします。
日本語に変換した時の汎用性が低すぎるのです。


ローマ字を習う・・・という事も百害あって一利なしで、イタリアに行った時にだけ、
「ローマ字読みで読めるんだ~」と嬉しくなるだけです💦
それならばローマ字よりもフォニックスを低学年から採用する方が先決でしょう。

日本独自のそのような事情もあり北欧圏の人々とは英語力にかなりの差が出来てしまいました。

北欧圏の人々でさえ、つねに英語をネイティブで使っている人々より理解が劣ります。
日本が今の教育のままならば逆立ちしても英語圏の人々と肩を並べる事は出来ないという事ですよね~

母語でならば高度な研究知識を発展させることができても、英語ではハンデがあるという事です。
なおかつ英語の言葉はどんどん進化しており若者の話ことばだけではなく学術面でも
多く新しい表現、言葉が取り入れられている現状では、その基本の英語すらもおぼつかない状態の
日本では永遠に追いつく事はできないのではないかと危惧します。

AIが発達してAIを通して翻訳してもらえば良いという考えもありますが、討論の場や
ビジネスいおいて翻訳している少しの間に、翻訳を介さない英語話者はもっと先の
状況におり、翻訳は時すでに遅しの状態なのではないでしょうか?

社会的格差をさらに生むだろう英語問題。しかし英語が基軸の現実は変わらないでしょうし、
他の言語ではなく、日本語が世界の基軸言語になるという事はあり得ない話です。

日本の文化が消失する心配よりも、国が衰退する事の方が何倍も大変な事態じゃないでしょうか?
第一、文化は永遠のものではないですし、日本の文化もかなりの変遷を経ているはずです。
国民の格差問題の方は、容認せざるを得ないのかもしれません。
国際競争力は社会のレベルを保つためには不可欠です。

すこしでも格差をなくするためには、大学まで無料で質の高い教育を国民すべてに受けさせる事も
必要かも知れません。
教育こそ国の財産ですから。

独自の文化は継承の努力をしつつ、大幅な英語教育の転換を施さなければならない時期は
とっくに過ぎているような気がしています。

いつまでたっても「子供こそ母国語の確立が一番大切だ」「いや子供だからこそ柔軟にバイアスなく
他の言語も母語も無理なく受け入れられる」といった対立で先に進みませんが、
待ったなしのところに日本は立たされているんじゃないでしょうか?