新Y’sクロニクル

下町在住、三丁目の夕日時代に生まれた主婦が海外旅行を中心に美味しいものなどの情報共有そしてプロゴルファー松山英樹の応援も!

すべて世は事も無し

「まさかさ~95歳まで生きる事を想定する時代が来るなんて思ってなかったよね~」と私。

「そこまでじゃないとしても、もともと年金だけでは十分じゃないって常識じゃない?
いまさらって思うわよ」

最近、年金問題与野党がガタガタしているわけですが。

「でもね、試算したデーターを受け取らないっていうのは子供じみてる」
と、私は思うのだ。

ビンボーなままで95歳まで生きると考えただけで恐ろしい💦

私はしっかり者の友達の影響で老後に備えて500円貯金を始めた( *´艸`)
積もり積もれば山となるの精神だ。
500円預金がシトロエン購入(新車)の半分をカバーしたと聞いたから~

そ~いえば昔から「子供がいないから老後の資金を貯めなくっちゃ!」と
地道な考えの持ち主で極楽とんぼの私も、遅まきながら昨今の問題もあり
地道方向に考えを転換せざるを得ないのであ~る・・・

「でもさ~95歳まで生きたくないよ~今死んでも全く問題ないからね」と私。

「え~。。。R君の結婚とか孫とか見たいと思わないの?」
「ぜ~んぜん!」
「そういう事いう人に限って長生きするのよ~」

因みに「R君」とはうちの末っ子長男の事であ~る。

「でもよくいうじゃない○○の花嫁姿を見るまではとか○○の孫の顔をとか」
「確かに・・・でも、そういうの考えた事ないのよね~
だって今の時点で思い残す事はないしな~。。。」
「そうなんだ。。。でもあれね、将来、老人施設に入って虐待とかされて、
そういうの考えると長生きしたくないわ」

全くこれからの人生のほうが断然、短くなってくる世代だとこのような
話題になるのは必然なのだ。

正直、私は冷静に考えても生活の事を心配しながら(金銭的にも肉体的にも精神的にも)
100年も生きたくはない。
今なら人生に満足しながら死ねる!思い残す事ってないな~

しかし、こういう状況で思いだされるのは母方の祖母の事だ。
86歳で亡くなったので、年に不足はない年齢だった。
つねづね祖母は「死ぬのは少しも怖くない、いつお迎えが来ても良い」と
話していた。
さすが明治の女は肝が据わってるわ。。。と死ぬことが恐ろしい思いで
いっぱいだった若い私は感心したものだった。

(今でも死ぬことは問題ないけれど、それまでのプロセスが恐ろしい~😰)

戦争をかいくぐり大事な息子を2人も戦争で亡くし、それでも生きてきた
人間は違うな~と思っていた。

それが、それがです。。。本当に死ぬ事になる時、自分の頭で考えている事と、
口にする事をうまく繋げられない症状になりもどかしい状況が続いていた時に
祖母はこういったのだった。

「まだ死にたくない」

私は心底驚いた(@_@)
もっと若い頃には「いつ死んでも良い」と豪語していたのに、
死ぬには惜しいという年齢じゃなくなって「まだ死にたくない」と言った事に(@_@)
おそらく脳の働きは衰えていたと思う。
その時、出てくるのは人間の本能として「生きたい!」という思いだったのかもしれない。

その正反対が私の父で「いつ死んでも悔いはない」とかいう言葉を
一度も聴いた事は無かったけれど、最後にして初めての入院で自分の最後の生を
受け入れ静かに「お父さんは、もうだめだな。。」と空気の中にようやく音を
認識する事が出来るくらい微かな声でそういった。
絶望感とかその種のものではなく、ふつーの事のようにそういったのだった。
そして穏やかに穏やかに毎日、これも声にするにも全体力を使うという様な
時にも「ありがとう」を連発し私や子供たちに感謝の言葉を尽くし伝えて
知らない間にある日、心臓が止まっていた。

そういえば祖母は事あるごとに「○○が結婚するまでは」とか「○○の孫が」とか
「ひ孫が~」とか言っていたっけ。
父からは聞いた事がないけれど、これは男だからか???

でも女である私もさすがに外見も性格も父似といわれるだけあって思考が同じなのだろうか?

もちろん自分に関わる人々の特に家族ならば幸福を願わないわけがない。
でも、それと自分自身がその瞬間を目撃したいのか?といわれれば
少し違う様な気が私はしているのかもな~???

それとも愛情が不足しているのかも???
愛情に満ちていると、「○○の姿を~」とか考えるのかしらね~
けっきょく利己的で自分が幸せならばそれで良いと考えているふしがあるな私は。

でもね、家族がいれば家族の幸せ無しに自分の幸せは無いと思うのだけれど。
どこが違うのだろう???

おそらく人生の大きなイベントと考えられている事イコール人生最大の幸福であると
の考えが希薄な事から来ているのかもしれない。
大きなイベントを経なくとも幸福はあるのではと考えているのだ。

で、振り返れば、いつも幸せを噛みしめて生きてきたわけではない。
ただそれを補うだけの幸福を与えられたのも事実で、
そういう意味では欲深く実現していない事だらけな私の人生だけれど、
それでも収支はプラスなのが私の人生だと思うのだ。

しかし、これは今の時点で・・・ということなので
95歳まで生きて今と同じ事を思えるかどうかの自信は全く無い(;^_^A

ただ平凡な事に幸福を感じられる事に感謝もしている。

そんな時に思いだすのが英語を習いたての中学生の時に
教科書に載っていたブラウニングの詩だ。
この詩がとても好きだった。

The year's at the spring
And day's at the morn;
Morning's at seven; 
The hill‐side's dew‐pearled;
The lark's on the wing;
The snail's on the thorn;
God's in his heaven ― 
All's right with the world!

ロバート・ブラウニングの「ピッパが通る」という長い劇詩の中の
「春の朝」という一節です。(中学生の頃はそんな事は全く知らなかったけれど)

北イタリアのアーゾロとう街の紡績工場で働くピッパという少女が
一年にたった一度しかないお休みの日の朝に感じたことを歌った詩です。

通りには生きるのが困難な人々がたくさんいます。
ピッパも少女でありながら休む事なく働かなければならない生活です。
家族も、もちろん食べる事もままならない生活だと言うのは容易に想像できます。

しかし、そんな貴重な春の一日に神の恩寵を感じたわけです。

訳詞としては上田敏の訳が有名ですが、私には格調高すぎる日本語で
ピンときません('◇')ゞ
ちなみにこれね!

春の朝(あした)

時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛(かたつむり)枝に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。

「神、そらに知ろしめす」ってなに~って感じで。。。

が、この詩は私の人生のバイブル「赤毛のアン」の最後に登場するのですが、
こちらがピンときます。

大好きなマシューが天に召されマリラも目の病に侵されアンも経済的事情から
自分の夢を諦めざるを得なかった最終章でアンはこの詩を口にするのです。

「神は天にあり、世はすべてよし!」

私の力では人間の運命をどうする事もできません。
それは自分の家族・・・自分の子供の事でもどうにもできないでしょう。
でもね、、、「神は天にあり、世はすべてよし」という真理が体得できれば、
どのような状況にいても、足りない事も、思い通りにいかない事もひっくるめて
それでも「幸せだ」と思える人生を送ってくれるだろうと、どこかで信じているから
私は、何かのイベントを自分自身の目で絶対に体験しなくっちゃ~って思っていないのかも?
と考えた昨日、一日でした。

台風一過で天気予報が外れた昨日。
都内の都心といっても良い場所でも緑が溢れ、まだまだ薔薇も紫陽花に
負けじと咲いていました。
一番上の写真は、名残のバラです。
同じ花壇にラベンダーも見事に咲き誇っておりました~

ラベンダーが綺麗な花壇。