新Y’sクロニクル

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映画『学校Ⅱ』は名作だった。そして懲役6年問題。

スキウサギちゃ~ん悪いことやっている自覚はあるのね(≧▽≦)
サンタさんにプレゼントはもらえるのでしょうか🎁

って・・・なんのこっちゃでしょう。
好きなキャラのスキウサギの作者が「学校Ⅱ」は名作だと書いていた。

確か「学校」は見た気がする。
夜間中学を描いた映画だったっけ???違うか~???

寅さんでお馴染みの山田洋二監督作品だ。

年末で見るべきTV番組も無いので昨夜、鑑賞いたしました~
いや~良い映画でしたね~
感動と共に、最近、この年になって気が付きつつある大事な事も教えてもらった気がする映画でした。

1996年の山田洋二監督作品「学校Ⅱ」

最初の場面で西田敏行と浜崎あゆみが親子役で登場。
あゆって可愛かったんだね~←そこで驚くか???
人気絶頂の安室奈美恵のライブシーンもあって驚く。

登場人物も知らずに見た。
主役の西田敏行がとても良い演技をしていた。
「釣りバカ」などで見るオーバーリアクションの演技が刷り込まれていたけれど、
役者として力量がある人なんだな~と驚いた。

生徒役で吉岡秀隆君も主要人物として登場していたけれど、
これは、もうイメージ通りの渾身演技の天才。
そしてもうひとりの重度の知的障がい者が神戸浩が演技とは思えない熱演。
(彼は実際に脳性麻痺の障害があるらしい)

山田洋二監督はセリフに説明的な要素が多いイメージを持っていた。
が、この作品はその部分が薄まっていて安心して見られた。
ただ、やはりせりふに「子供の人権」とか個人的に好きではない「人権ふりかざし」も
組み入れられていたけれど、許せる範囲だった←上から目線すぎ( *´艸`)

いしだあゆみが若く理想的な教師で、20数年でメディアから消えていくとは思えない
年齢なのにな~としみじみ。(絶対に今の私より若いよな~)

ベテランの養護教員である西田敏行、同僚のいしだあゆみ、そこに新卒で赴任した
永瀬正敏、養護学校の生徒たち。
主に若い教師そして生徒が葛藤の中で成長していくという物語。

このように簡単に内容を書くと「あ~いつもの聖職者のような教師の物語ね~」としらじら~と
なりがちだけれど、不思議に正論や正義が押し付けがましくはなかった。

また本当の養護学校の生徒が出演しているという要素が大きいと思うけれど、
物語の世界ではなく、本当の世界を見ているような気がして、
「あら~ホテルの厨房で頑張ってるわね~良い上司もいて良かったわね~」とか、
「そんなの新人なのに直ぐ覚えらえるわけないじゃないヽ(`Д´)ノプンプン」とか
「気球の中でパニックになったらどうするの~」など隣のオバチャン視線で
心配したり、安心したりしていた( *´艸`)

そして何よりも教師と生徒だけの事を描いているわけではなく、
人間と人間の寄り添い方、尊重のありかたを描いているのだ。
より「教える立場」「指導する立場」と「教えられ育てられる立場」として描くと
分かりやすいという事だろうな~

教条主義に陥っていた自分を反省させられた。

最近、自分で気づきつつある事とは「自分の気持ちを分かってもらう努力の前に、
相手の事を理解する努力」が大事という当たり前の事だ。

ほらね・・・気功などでも先に悪い気をだしてから、
良い気を取り込むイメージっていうじゃない?

自分の事は、空っぽにして先に相手の状況を考えるって習慣が大事なんじゃないかとね。

肉親であれ他人であれ、成長過程での色々な要因や成長段階で経験し体得した事が
その時点での「心」を作っている。
そこを考慮しないで自分自身の「理想」や「正義」や「常識」という曖昧な物を
押し付けてしまう。
そして、それがうまく受け取ってもらえなかったり、逆に捉えらえたり、こちらの
思う様な結果にならないと落胆してしまう。
それの繰り返しは私ならば子育てでも感じたことだし、
同じ環境で育った姉妹ですら全く理解してもらいないという事でも感じたことだった。

そして今は認知症を発症した時からの母との関係でも思い起こす。

恐らくは全ての関係性は「寄り添う」というヒトコトなんだろうな~
このヒトコトがとてつもなく難しい💦
綺麗ごとに聴こえがちな「あなたの幸せが私の幸せ」って事なんだろな~
教える事によって、自分が教えられるってこれは年齢と共につくづく感じる事ですね~

喉の骨が取れない感覚の農水次官事件

最近一番、考えさせられたのはあの元公務員のエリート役人が起こした
事件の判決内容だ。

この事件の内容や判決は誰でも知っている事なので説明は省きます。

TVや記事の識者の意見で多いのは「エリートだからこそ、誰にも相談できなかった。
専門家などしかるべきところに相談していたら、このような事にはならなかったのでは?」
というもの。

もちろん正論だと思う。
でも、ひょっとして彼らの想像力は足りないのでは?とも感じる。

もし、自分が被告の立場だったなら・・・
その子が原因で娘も不幸な結果になり、母親も精神を病んでいる。
そうなる前に相談を。

話はこの事例と離れるけれど、実際にこのような息子を持つ家庭を知っている。
年齢は、この家族より少し上?
その息子は私と大きくは変わらない年齢だった。
いろいろな所に相談していたと思う。
お坊さんなどにも相談していたと聞いた事もある。
(ここの父親が亡くなった時にはキリスト教式の葬儀だったけれど)

若い私は親が逃げていると感じた。
かといって事態を好転できるような名案も持ち合わせていなかった。

私も3人の子供を育て、そして今は親の手もかからない程度に成長した。
その今が、もう子供ではない大人の実子が事件の様な状況ならば、
いったい何ができるというのだろうか???

相談して、その相談相手の専門家が示すような道を歩む事になるのだろうか?
なるほうが少ないんじゃないのかな~???
それを繰り返すうちに相談ってしなくなるんじゃないのかな~。。。
専門家だって、他人ごとだと思うし、セオリーに則るだけでしょ?
そのご家庭も幸せな結果にはならなかった。

誰だって過ちは犯すし、親だって人間なのだから完ぺきとはほど遠い。
今、私が何の問題もなく幸せな気持ちを持ち続けていられるのは、
偶然の産物でラッキーだとしか言えないのだ。
私が立派に子育てをしたのでは決してなく、むしろ子供が増えていくうちに
いっぱい、いっぱいで余裕もなく子育てしていた。

その中で子供に当たる事もあり、それを子供に指摘され反省もした。
それでも幸運に恵まれ今がある。
お嬢が最近、こんな事を言った。
「今考えれば、ママってかなり手を抜いていたよね~そう見えただけだったの?」
私は自信満々に答えた「そう見えただけじゃなく、実際にそうだったのよ」
このように、全く幸運がなければ今は無いのだ。

逆に自分の事より子供の事を第一に考え、愛情を与えて育てても、
今回の事件は起きる場合もある。
それに対して私たちに何ができるというのか?

「もっと愛情を持ちなさい、理解してあげなさい身内なんだから」と警察は言った。

私の子供時代に強烈な思い出がある。

今は亡き叔父の事件だ。
末っ子の男の子で祖母はとても可愛がっていたと母はいつも話していた。
そしてまた母自身も年の離れた弟が女の子の様に優しい顔で可愛く、
皆で可愛がって育てたのよ~と。

祖父は叔父が生まれて直ぐに亡くなったらしい。

子供のころ、大人の話しを耳にする事があった。
祖母は定職につかない叔父に高級新車を買い与えてもいたらしい。
生活費も与えていたっていう話でした・・・┐(´д`)┌ヤレヤレ

ある日、母に連れられ祖母の家に行った。
そこには警官がいた(*_*)
なんと叔父が狂言自殺未遂をしたというのだ(@_@)
大量の薬を服用し、生命には大事は無かったのだけれど。
男女関係のもつれ???
子供だったので詳しい事はわからない。

母はさんざん今までの経緯もあり「こんな人間は兄弟でも何でもない!」と
なんの状況かは知らないけれど、そんな事をその場にいた警官に言っていたと思う。

その時の警官の言葉を今でも覚えていてる。
「実の兄弟でしょが!!!もっと愛情をもって見てあげなさいよ!
親やあんたが、こんなんだから、こんな事を起こすんだよ!!!」

子供ながら私は虚しさを覚え、この時ばかりは母に同情した。
叔父の良からぬ素行は気が付いていたのだから。
この警察に何が分かるというのだろうか!
どれだけ、祖母や母が心を砕いていたか知っているのだろうか!
と警察に怒りも湧いたのだった。

この叔父を最後に見たのは祖母の葬儀の時だった。
その後、まもなく亡くなったので。
ただ私には優しかった叔父なので、あんな叔父でも懐かしさはあるのです・・・

最後まで祖母に迷惑をかけ通しで犯罪は犯さなかったけれど、
その経験が皆に可愛がられて、育っても、そんな大人になるという事が
私の中で「無条件に子供には愛情を注ぎなさい」という子育てには
懐疑的なのだ。

だから、元農水次官や子供の事で苦労しているどんな親でも
自分を責めないでほしいな~と心から願うのです。

もちろん親の責任で、そうなる事もあるでしょう。
ネグレクトしている親や暴力をふるう親は論外で。

不可避な事って世の中には起きるって言うのは事実です。

子供は天使じゃない、障害者は天使じゃない、人間は天使じゃない。
しかし天使の要素も持ち合わせている。

世の中には表現したくても表現できない人もいる。
その声に出来ない声を聴いてあげられる人でありたい。


どんな人間も自分が経た環境の中で「心」は育まれる。
そして、その環境が育んだ思想や信念の間違いに気づくには時間と経験が
必要だ。


気づけばその後の思想や信念も形を変えられる。
全ての背後にあり、いまを取り巻く環境と心のありかを静かに
見つめ尊重する人間になりたいと、この年になって思う年末。

今日はクリスマスの準備や大掃除をしようと予定していたのに、
朝からぎっくり腰😥
フライパンやお鍋を重曹でつけおきしながら、しょ~もない感想を
綴ったブログでした~

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