「みちのくの母のいのちを一目見ん、一目見んとぞただにいそげる」
斎藤茂吉の句で唯一知っているこの歌が頭をよぎったタクシーの中。
その日、午前中のほとんどを母の容態を案じた友達との
電話に費やし、お昼も過ぎたのでチャルメラとおにぎりを作り、
鍋から丼に移そうとした瞬間に携帯が鳴った。
携帯を手に取る前に切れた。
母の入院先の病院からだ。
すぐに家電が鳴った。
「これは・・・ただの連絡事項ではないな」と感じ直ぐに受話器をとった。
「午前中はいつもと変わらなかったお母様の容態が急に悪くなり血圧も低下し上が40を切りましたので、すぐに来ていただきたいのですが」
「そうなんですね・・・ところで今ちょうどお昼を食べるところなんですが、その時間ありますか?」
「それは、なんとも・・・おまかせします・・・」
そりゃあそうだ、そんな判断、出来ないだろう看護師さんに( ´艸`)
娘は母が急変しているのにラーメンが伸びちゃう・・・そのことのほうが
大事なのか???
まわりからよく聞く話として、危篤との知らせを受け、家族が
集まる・・・持ち直す・・・を繰り返したという話。
今回の電話は「危篤」という言葉は使われていなかったので、
生死の危機に関しては半信半疑だったのだ💦
とにかく、ラーメンは鍋にそのままにして、
造りかけのおにぎりと用意した海苔をそのまま放置し、
眉毛だけ書き、スエットからその辺に置いてあったニットワンピに
着替え、外に出てタクシーを拾ったのであった🚙
まさか、その日、母と一緒に遠方まで連れていかれ、
夕方の6時を過ぎて初めて利用する私鉄のホームで電車を待ち、
家に戻る事になるなんて思ってもいなかった・・・
女性は男性の3倍もしぶといという話
先月の後半、神田の三井記念病院から柳橋の病院に
ターミナルケアのため母は転院した。
その時、医師と確認したのは延命治療は一切行わない、栄養は最低限という事。
興味深い経験則を医師、看護師からうかがった。
口から全く摂取できなくなった母はいわゆる点滴で栄養を補給していた。
腕に針をさす点滴。
血管が細くなっているので、いずれ皮下点滴になり、
栄養補給は今の半分、約500カロリーになるということ。
(皮下点滴は腹部や下肢から点滴を入れる方法)
そうなると女性の場合は平均で2,3か月の余命。
男性はその3分の1くらいの余命(@_@)
男性は早い場合は皮下になって1週間という場合もあると。
母は先週の日曜日に皮下からの栄養補給になったと連絡を受けていた。
腹部に針を入れたが、脂肪がなさすぎて太ももからになったという事だった。
「連休までもつのかな~?」などと思っていたけれど、その2,3日後に
急変するとは思っていなかったのだ。
なので、当日、友達との電話で女性は苦しむ時間が長いのね・・・
辛いね・・・自分で命の調整はできないしね・・・などと話していたのだった。
妹は先週、2泊の旅行に出かけていた。
(緊急自粛制限が延長される前に予約しちゃったんだって)
そのタイミングでね~まさかね~女性は長持ちするはずだったのに。
タクシーで斎藤茂吉気分になって病院に到着したのが13時前。
母は4人部屋のドア近くのベッドに寝ており、バイタル計測の機器が
横にあり血圧や心拍数がモニターで見られ、命は繋がれていた。
母の耳元で「かりーだよ~かりーが来たよ。すぐに楽になれるよ」、
「おばあちゃんやオバサン、お父さんも来てるんでしょ?」
と話しかけると、とても安堵した表情に変わったような気がした。
看護師さんに母の昔話を聞かせて笑ったり・・・
10分ほどの間・・・徐々にバイタルは落ち静かに心臓が止まった。
緊急だけど、和やかな空気の中で眠りの延長のような静かな最後だった。
本当にほっとした。
思わず「良かったね~お母さん、楽になったわね~」と話しかけた。
看護師さんは目を真っ赤にして「本当に、本当に」と言ってくれた。
ここからは葬儀屋に連絡を入れたりと忙しい。
その前に口が開きっぱなしの母の状態がどうにかならないものか?
と看護師さんに話した。
顔の筋肉も無くなり口が閉じにくかったらしい。
そのままで逝ってしまったので・・・
「あごの下にタオルを入れましょうか??あれ、なんかシャクれちゃいましたね顎」
「ほんとだ!母の顎、シャクれ過ぎ!脂肪があるときはここまでじゃなかったのに( ´艸`)」
などといいながら、あちこちにラインし、葬儀屋に連絡を入れた。
ネットの葬儀社が似た名前過ぎて間違える・・・
葬儀費用を抑えるため、母が入院したタイミングでネットで格安葬儀社を
探していた。
最近、TVCMで頻繁に目にする「ちいさなお葬式」を検索し
まず、そこに電話を入れた。
電話の向こうの受付は「ちいさな」とは言わず「やさしい」と言ったように
聴こえた。
「テレビでCMされてますよね?」
「テレビでCMはしておりませんが・・・」
「NHKなどに取り上げられたんですよね?」
「ハイ、取り上げられました!」
「ちいさなお葬式でらっしゃいますよね?」
「いいえ、私共はやさしいお葬式でございます」
がーーーーん。。。違うじゃん、でも似てるじゃん・・・
とりあえず電子パンフレットを送ってもらい会員になった。
会員登録すると数万円安くなるシステムをどこもとっているらしい。
セレモニーそのものは30万円以内で収まりそうだ✌
今度はネットで「やさしいお葬式」と入力すると・・・
「よりそうお葬式」とか「○○なお葬式」と似た葬儀社名ばかりだ(@_@)
そうか~それで間違ったんだ・・・
そんで、母が亡くなった当日、葬儀社に連絡を入れたいのだが、
葬儀社からもらったメールを「重要」に振り分けていたにも関わらず、
おそらく数日前に間違って消去してしまったらしい💦
葬儀社の連絡先がわからん・・・
またまたネットで「やさしいお葬式」と入力し電話番号を見つけた✌
「以前、会員登録しまして本日母が逝去したのでお願いしたいのですが」
「会員様のお名前は?」
「○○かりーと申します」
「カリー様のご登録は1件ございまして千葉のかりー様ですか?」
「いいえ・・・東京ですが・・間違えたかな?」
「私共はよりそうお葬式でございます」
まったく~検索して最初に出てくるのが、その会社だと限らないのだ。
あせって、また似た名前の会社に電話してしまった💦💦💦
妹にもラインし「やさしいだよね?」という事で一致し今度は無事に連絡が
とれ1時間後にお迎えが来るという事だった。
その後、葬儀社に遺体を安置し葬儀の具体的な打ち合わせをする事になった。
格安なのに立派な寝台車がお迎えに来た!
病院の医師、看護師数名が最後までお見送りしてくれた。
本当に良い病院だった🎵
葬儀社の見積もりはオプションなどを選ぶと結局は40万超えくらいに
なった。
(ただし火葬料75,000円も入っており、それは後々、区から補助がでるらしい。
あと、お坊さんも火葬場に来てもらい戒名もつけてもらうのでプラス6万円)
娘の知らないどんびき母の写真!
チャルメラに未練を残し家を出て7時に家に戻り、
母の遺影にする写真を探す事に。
母は目立つことが好きだった💦
華々しいのが好きで、認知症になってからの自分の写真など遺影に
されたくないだろう。
それ以前の写真だと帽子を目深に被ったり顔が半分隠れているのばかり。
すっかり忘れていた一枚の写真が出てきた。
以前、これを発見した時にどんびきした写真だ(@_@)
なんと、80歳近くの老女のウエディングドレス姿(@_@)
どんびき~💦💦💦
母は和装の結婚式だったのでドレスを着たかったのだろうか???
どんな気持ちで撮影したのだろうか???
お嬢にきくと「おばあちゃん、青いドレスの写真があって、それ遺影用だっていってたよ」という。
その写真は手元にないので、家族ライン会議で本人が一番喜びそうなこの
写真を遺影にすることにした(≧▽≦)
葬儀屋で遺影はプランに入っておらず最低が1万5千円だという。
「あの~。。。こんな大きな遺影あとから困るので小さいのにしたいんですが」
困るわ~あんな大きな遺影、飾りたくないもの。
処分するにも、なんか心苦しいし・・・なら最初から小さいほうが良い。
小さいものは自分で手配しなければならない。
カメラのキタムラに持って行き翌日完成。
フレーム付きで7,500円・・・けっこう高価だ💦
元の写真の上半身だけで、引き伸ばされた母の表情は、
小さなサイズでは分からない、実に満足そうな表情で写っているのだ(@_@)
いい年のバーさんが白いドレスを着て満足しきっている・・・
どんびき・・・
娘は見るたびに気恥ずかしいのだ💦
ネットは心配だったけれど、想像より豪華で派遣のお坊さんも良かった!
私たち夫婦と妹夫婦そして、それぞれの子供達、などなどというごく身内だけなので、
シンプルに1日で、それも葬儀とか行わないプランにした。
もとのプランは火葬場で対面し花を入れてお見送りというタイプ。
一番安いのは、その対面もないらしい(@_@)
それに葬儀場で最後のお別れをするプランを足して、
お坊さんには火葬場で読経&戒名をお願いした。
四十九日に遠方の父の眠る菩提寺に連れて行くのだ。
菩提寺に相談すると、こちらで戒名を付けてもらってという事だった。
実家は真言宗なので真言宗のお坊さんが派遣された。
戒名をつけるにあたり母の人となりを話したのだが、
これが、とてもはっきりした良いお坊さんで電話だけでも安心だ来たし、
実際に火葬場でお会いしたが、40歳前後のお坊さんはとても
話しやすい読経の声がナイスなお坊さんだった。
葬儀場での最後のお別れセレモニーも想像より豪華な感じだし、
担当の葬儀社の方も至れり尽くせりで感謝。
ウチの子供達によれば担当者の「キャラ濃いよね~」「ディズニーのインストラクターみたいジェスチャーで笑いそうだった」などなど。
そうか人生をテーマパークに例えれば最後のテーマは「デスランド」
そのランドのエンターティナーを輝かせるのがインストラクターだもんね✌
そんなウチの女ども私を含めて喪服探しに奔走した。
私は、体系がどんどん肥大化し喪服もどんどん入らなくなり父の葬儀を
最後に買っていない。
その時の物は入らないのでお嬢その1が着る事に。
私は黒いワンピに喪服のジャケットを羽織ればいいや、と思っていたが、
どこを探しても無い!!!
喪服のジャケットをとっておいたはずなのに・・・少なくとも昨年まではあった!
なのに、なんだろう・・・捨てたの???
バッグはとうの昔にカビが生えて捨てたし。
お嬢その2も黒いジャケットがないと騒いでおる。
我が家の部屋はそのままになっており彼女のクローゼットにジャケットを
無事に発見し事なきを得た。
私といえば格安の黒のジャケットをゲット~✌
薄いニットの黒ワンピに羽織ると「あ~いるいるそういうオバサン、PTAの役員みたい」というわけのわからない評価をお嬢たちからはもらった・・・
葬儀系が予算内で収まったので、最後のお清めの食事はパーッと
割烹で!
母からの最期のお食事会のプレゼント。
創業80年以上の料亭だけあって、感染対策もばっちり、豪華な広い個室で
母の遺骨を含め食事会をたのしんだ。
お清めのお水やお塩も用意してくれて、さすがでした。
各自が母との思い出を発表したのですが、ほとんどが怒られた事ばかり( ´艸`)
満足そうな笑みを浮かべた遺影は、すこし恥ずかしそうにしておりました。
妹は旅行の際中に急きょ戻り、当日は春の嵐の予報・・・
孫たちからは、怒られた思い出ばかり・・・
母の好きだったアメリカの昔のヒットソングや洋楽好きでアランドロンが
好きだった母に太陽がいっぱいのサントラを聴かせたり・・・
コロナの状況で会う事の無かった姉妹や子供達で涙の無い、
笑いがいっぱいの食事会。
苦しむ期間が最低限で想像より早く逝った母。
今朝は、どんびき遺影と遺骨に大好きだったコーヒーをお供えしました。
ほんと、よかったよ~
2月18日に91歳になり3月18日に宇宙旅行に出発した母!
その旅行のお見送りを済ませて安堵の日々が戻りました。