ウオーキングに出かけ、無人野菜売り場を見つけた。
軒先に可愛らしい赤い花💕💕💕←まさにこのハートのような花。
「チロリアン・ランプ」という花なんだって可愛い💕
可愛くないのは家のモンステラ!
なんとドラセナ・マルギナータレインボー(写真右の赤っぽい葉)の鉢に
ちゃっかり着根していたのだΣ( ̄□ ̄|||)
ツリーを飾るので観葉植物の鉢を動かして発見!!!
どうにもこうにもドラセナと対でしか動かせないのだ(´;ω;`)ウッ…
この根を気根というのだそうだ。
切っても問題ないらしい。
が、気根の自由な感じがワイルドで、それもまたモンステラの魅力でもあるんだって。
で、ちょい嬉しかったのは昨年のクリスマスシーズンに買ったポインセチアが
色づき始めた(*^-^*)
急に気温が下がったので室内に取り込み採光には注意してっと・・・
クリスマスまでに赤くなるかな~
さて~今更に過ぎこし遠い日々の行いを後悔している。
後悔ってすべてが全て過去の物なので、後悔に浸るくらい無駄なことは無い。
仮に後悔が反省であるならば、これからに生かすべきだろうと思っていた。
しかし「生かす」方法がまったくもって見つからない。
だから後悔なんて考えても仕方がないんだよ~とわかっていても考えちゃうのが人間だ。
第二の人生って退職後の人たちに使う言葉だけれど、私の場合、人生の大半の時間が過ぎ小説でいえば超大作がようやく「完」で締めくくられ、今は続編というよりはオマケの読み物が第二の人生にあたるんじゃないかな~
そのオマケの物語が始まって第一章が後悔。
きっかけは、差し迫る経済危機!!!
そう年金生活のシュミレーションを行い実践に近いところにいる。
「あ~これじゃあ年金のかなりの割合が家のランニングコストだわ~💦税金含めてさ~」などと嘆いているのだけれど、雨風に侵される心配のないだけありがたく思わなくっちゃね~などと考えたりして、はたと昔の事を思い出したのだ💡
_____ここからは「花束みたいな恋をした」の絹ちゃん(有村架純)のモノローグに脳内変換されていた(≧▽≦)__________
あ~結婚当初はお金なかったな~(夫は社会人3年目であったし私は専業主婦だった)
子供も生まれて、その後3人まで増えて・・・
おまけにバブルのクソ高い時に不動産を購入して・・
金利も信じられないくらいに高かったよな~
それでも、どうにか生活していたんだよな~
あれ???私、どうやって家計の切り盛りをしていたんだろう???
不可能じゃん!!!あのお給料で生活するなんて!!!
でも、どうにか生活できていたんだよな~(絹ちゃんです、あくまで絹ちゃん風)
それを考えると年金生活も恐るに足りず!!!じゃないのかな~💕
めでたし、めでたし・・・じゃなかったのだ。
そんで、後悔はこの後、始まったのであーる!!!
幼稚園とか習い事とか、大変じゃなかったのか???
などと考え始め、突然、自分の愚行の数々を思い出してしまったのであーる!!!
全くもってあったま悪いんじゃないの?としか思えない思考回路。
(げんに頭は悪かったのだと思う(≧▽≦))
20代で二人の親となったわけだけど学生気分が抜けていない
パッパラパーな人間だった・・・
親になるには未熟過ぎた。
親の自覚は他の母親ほどなく、あくまでも自分という「個」を守りたかったのだ(今でも変わらないけれど)
子育てしながらも自分の好きな本を好きなだけ読みたかったし、ゲームや手芸もしたかったし、していた。
そのように欲張りだったから、いっぱい、いっぱいだったんだな~
自覚はしていなかっただけで。
近所に一時の用事でも見てくれる親も住んでいなかったので、とにかく自分の時間を持てるように、少しでも早く子供達が自分の事は自分で出来るようになってほしいと願っていたんだよね~
「子供に手がかかるのはほんの数年、だからこの時期を楽しむだけ💕」と愛情の全てを捧げる親もいるけれど、下の子が幼稚園に入る10年間くらいは、そんな余裕がなかったのだろう。
心に余裕がないから愚行を侵すのだ。(頭の悪さが拍車をかける)
社会人経験もほぼ無く大人としての行いを、子育ての中で学ぶ事になりキャパからこぼれそうになった。
疲れていたのだと今は思う事が出来る。
その当時は全く大変とか思わず、それが専業主婦を引き受けた以上自分の責任だと
強く信じ疑わなかったけれど。
全く頭悪いな~と徐々に気が付いたのは、一番下の子が義務教育を終えたくらいではないだろうか?
なぜあの時、こうしてあげなかったのだろう?
なぜあの時、もっと分かってあげられなかったのだろう?と自問自答しても、
既に遅いのだ。
つい最近、お嬢その1がこんなことを言った。
「小さい頃、ほらディズニーの英語のCD聴かせられたじゃない?あれ嫌だったわ~」
お嬢達が幼い頃ディズニーの英語学習のCDと教本があり、それを聴かせていたのだ。
自分自身の幼い頃、英語は興味あるもので楽しくもあったし、語学は幼少から身近にあったほうが良いと考えていたのだった。
それを遊び感覚で身に着けられるのならと。
想い出の中で、彼女も楽しんで聴いていたとばかり思っていたので意外だった。
(それも三番目の動き回るのが尋常じゃない男の子になると私の手も回らなくなったのでほぼ放任だった(≧▽≦))
そこに齟齬が生まれていたとは。。。
嫌な思い出として、存在していたとは(*_*)
ある程度の「知」は最小限、大人になるには必要不可欠だと思っていた。
それも親の奢りなのかもしれない。
自分の経験の中からしか考えが及ばない想像力の欠如。
あー、本を読んで想像が無限に広がる楽しさを知ってほしいな~
美しい旋律を取り込んでほしいな~
綺麗に咲く花々や宇宙に広がる神秘を感じてほしいな~
そしていずれ親はいなくなるのだから、困難は自分で払いのけ、自立して生きていける人間になってほしいな~
そういう自分の押し付けばかりだったんだよな~
子供達ばかりではなく、夫や親やまわりの友人知人に対しても、心底、優しく
接することなんて出来なかったよな~
自分に自信がないから、気が付かないうちにいっぱいいっぱいで利己的な
生き方をしていたんだよな~などと後悔が次々生まれる。
しかしだ、後悔しても、次にこれを生かす術が思い浮かばないのだΣ( ̄□ ̄|||)
ドラマで(←またドラマかよ~)人間の決断に正解は無い、だから残りの生涯で
間違った決断、行為であってもそれを正解にしていくことが大事なんじゃない?
という台詞があったけれど、正解にできる自信がない・・・
「本当に私という人間はバカでした~」と開き直るしかない(≧▽≦)
とはいえ、後悔の穴埋めの気づきを願うオマケの物語が続くことになる
これから・・・