ヴェネツィア観光で誰もが訪れる場所といえば聖マルコ大聖堂と
サンマルコ広場でしょう。
サンマルコ広場は聖マルコ大運河に面しており古来よりヴェネツィアの表玄関でした。
あの悪名高い第4次十字軍のヴェネツィア艦隊も、このサンマルコから船出したのです。
広場とサンマルコ運河をはさんで左手にはヴェネツィア映画祭で有名な
リド島があります。
リドはヴェネツィアの外港で、そこで敵を防いでいました。
ヴェネツィア艦隊も羽の生えたライオンの旗をたなびかせ、
この岸を出帆し、リドから
外洋へと向かったのです。
なので運河を背景にして建てられた立派な像は
ヴェネツィアの総督?とお思いでしょうが、
そこはイタリア共和国、あの ヴィットーリオ・エマニュエーレ2世の彫像 です。
ヴェネツィアの英雄よりもイタリアを統一した初代国王となるのでしょう。
ヴァポレットの駅も数か所あり、そのまわりにはお土産屋さんが立ち並び、
観光客も多い場所です。
この彫像の建っている所から運河を背にすればサンマルコ広場、ドゥカーレ宮殿、
聖マルコ大聖堂があります。
とにかく人、人、人・・・大変な観光客の数です(@_@)
聖マルコ大聖堂の前から運河方面まで、そりゃあもう人、人、、人です(@_@)
ナポレオンが「世界で一番美しい広場」と言ったそうですが
「世界で一番人の多い広場」が
正解です( *´艸`)
世界最古のカフェ「カフェ・フローリアン」もあります。
同じ広場に、やはり世界最古?という別の有名カフェもあります・・・( ゚Д゚)
両方共に古い事は確かでしょう。
この広場には15世紀に建てられたというのに今でも美しい
ムーア人の時計塔があります。
青い文字盤はラピスラズリです。
日本では「ムーア人の時計塔」と呼ばれていますが、写真では収めきれなかった
いちばん上の鐘の部分に2体のムーア人のブロンズ像があり、正午になると
大きな鐘がその像によって打ち鳴らされます。
15年ほど前に修復が終わり、時計の修理はあのピアジェが担当しました。
前回はあまりに長い行列で、見学しなかった聖マルコ大聖堂の見学をしました。
聖マルコ大聖堂の見学は予約をしてね~
大聖堂の内部見学は無料です。
ただし観光シーズンの4月から11月は見学する為に大行列ができるので、
事前予約料3ユーロで行列をスキップ出来ます。
また、このチケットでヴェネツィアを一望できる鐘楼の列もスキップ出来ます。
(4月1日から11月1日まで予約可)
大聖堂内は無料ですが、聖堂内のサンマルコ博物館、宝物庫(主にコンスタンティノープルから略奪したお宝の展示)、
パラ・ドーロ(祭壇の後ろにある金の祭壇画)は別料金。
お堂の上階部分にバルコニーがあり、そこからサンマルコ広場全体を見渡す事ができる
ビューイングスポットですがサンマルコ博物館のチケット購入者しか入ることができません💦
大聖堂の見学予約は下記のサイトからできます。
サンマルコ博物館、宝物庫、パラ・ドーロは聖堂内で現金支払い。
それぞれ5ユーロ、3ユーロ、2ユーロ(2019年10月現在)
大聖堂見学時にリュックや大き目のバッグなどは預けなければなりません(無料)
かさばらない斜めがけバッグなどはOKです。
注*2021年3月現在、予約は受け付けておりません。
大聖堂内は目をみはるばかりの黄金の世界だった!
聖堂内でのカメラ使用は禁止されているので、
しっかりと目に焼き付けようと試みましたが、
私の目(脳)には不鮮明な記憶しか残りませんでした・・・(≧▽≦)
ただただ想像以上の豪華絢爛という言葉しかでてきません!!!
「豪華絢爛」という言葉はヴェネツィアの為にある言葉に思えてきた・・・
無料で拝観できる施設で、これだけ見ごたえのあるところは聖マルコ大聖堂と
大英博物館が2大巨頭と言わざるを得ません。
ドゥカーレ宮殿といい、この小さなヴェネツィアが交易の先駆者として画期的な
活躍を見せ「ベニスの商人」という作品をシェイクスピアが書いちゃうような
類まれなビジネスセンスで世界中(あの時代の)の富の集めっぷりには
口をぽか~んと開けるしかありませんでした。
お堂内の高~い高~い天井は金の細工画で埋め尽くされていますが、
キンキラ趣味というよりは、あれはあれで宇宙を感じました。
キンキラにしても悪趣味に感じない安っぽくならないのが
イタリアの天性なのでしょうね~
別に3ユーロ支払い宝物殿内も見学。
想像以上に狭いお部屋にコンスタンティノープルから奪ってきた金銀財宝で
出来た品々が展示してあり、逆にその時代のビザンチンの繁栄を思わせるものでした。
大聖堂見学での反省点・・・
時間とお金をケチらないでテラスからの眺め、パラ・ドーロの金ぴか宝石で
目をくらませたかった・・・
これから行かれる方は、ぜひ2度とない体験かもなので全て見学してください。
損はしません!
12:05からの予約を取っていました(20分毎の予約)
中央の入り口付近には聖堂見学の長い行列がありましたが、
向かって左の事前予約者入り口に
向かいました。
15分ほど早かったのですがOKとの事でした。
見学の前に外観を鑑賞~
ファザード上部はガラス片で製作されたモザイク画で装飾されており、
中央の「キリストの復活」を中心に聖マルコの生涯、
聖マルコ聖遺物をアレキサンドリアから
ヴェネツィアまで運んだ一連の物語が描かれています。
キリストの復活のモザイクの上に4頭の馬の銅像があります。
これもコンスタンティノープルからの略奪品(@_@)
保全のために本物は博物館に展示されており、これはレプリカです。
パリのルーブルの近くにカルーゼル凱旋門があります。
ナポレオンがローマの凱旋門を模して造らせたものです。
(出来上がってみるとあまりに小さく大きなエトワール凱旋門を
あらたに造らせたそうです( *´艸`))
その門の上にも、現在この4頭の馬のレプリカがあります。
ナポレオンの時代には、この大聖堂の馬がパリに持ち去られ
カルーゼル門を飾っていました。
1815年会議は踊るで有名なウイーン会議でヴェネツィアは
オーストリアに編入され馬も
その時に聖マルコに帰ってきました。
フランス革命後、ワーテルローの戦いでフランス軍が敗れナポレオンが失脚し馬も
戻ったと言うワケです。
しかし、この馬はもともとは古代ローマにありネロの凱旋門にあったものを
コンスタンチヌス帝がコンスタンティノープルに持ち去った物でした・・・💦
銅製の馬でも千里を走ります(笑)
正面入り口の両脇にある大理石の柱は、それぞれ違う色や柄という凝りよう!
800年代前半に聖マルコ聖遺物の為の教会建築が始まり、天災などを経て今の外観は
ほぼ13世紀終わりに完成しました。
全体的にはビザンチン様式の大聖堂ですが、この柱はトスカーナ式に思えます。
大聖堂の側面。
ロマネスク様式、ゴシック様式が多い教会建築でここはビザンチンの特色が顕著です。
1419年の大火の後、トスカーナ人によって修復されたらしいので、
大理石使いや柱にその特徴があるように思えます。
前回はファザードの左半分の修復中で見られませんでしたが、今回リベンジできて
大満足の大聖堂見学でした~
ガイドブックその他で「聖マルコ(サンマルコ)大聖堂」「聖マルコ寺院」と
両方の表記を見ませんか?
聖マルコだけではなく、世界中の教会でこのような日本語表記が見られますよね?
現地語(英語でも)2つの表記は無いと思います。
basilica sanmarco が現地の表記です。(以下ローマカトリックの場合)
「バジリカ」はいろいろな教会に使えますが、大聖堂の様な大きな教会を表す事が多いです。
日本語に当てはめれば、19世紀以前は「聖マルコ寺院」で、それ以降が「聖マルコ大聖堂」
という事になるでしょう。
「大聖堂」(イタリアではドォーモ)はローマカトリックの司教のいる教会です。
その教区を監督する聖職者ですね。
18世紀までの聖マルコ大聖堂は歴代ドージェ(総督、元首)の邸宅兼政務庁に隣接した元首の礼拝所でした。
ドージェ任命式典も行われました。
それまでの司教座のある大聖堂は中心地から遠く離れたカステロにあるサンピエトロディカステッロ(カステロのサンピエトロ大聖堂)でした。
ですから、この時点までは聖マルコ寺院でも問題が無かったと思いますが、
それ以降は「大聖堂」と
表記するべきだと思います。
ヴェネツィア共和国時代、いかにヴェネツィア人がローマ法王と距離をとっていたかが
うかがい知れる教会のありようですね。
エジプトのアレキサンドリアから2人の商人が聖マルコの遺骸と言われている聖遺物を
ヴェネツィアに持ってくる前(828年以前)、ヴェネツィアの守護聖人は聖テオドーロでした。
いまいち名前の知られていないギリシャ人の聖人テオドーロは、
12使徒の次に位の高い聖人、
聖書執筆者のマルコに守護聖人の地位を奪われてしまったのです(>_<)
聖マルコのシンボルは羽の生えたライオンです✨
以来、ヴェネツィア共和国の国旗も聖マルコの獅子になるのでした~
因みに十字軍の時代には、あちらこちらで聖遺物ビジネスが盛んで奪い合いで
高値で取引され、教会のビジネスに貢献したようです(≧▽≦)
鰯の頭も信心からという事でしょうか?