新Y’sクロニクル

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ハチャメチャ胸糞悪いのに感動『ニワトリ★スター』と続編(?)『ニワトリ☆フェニックス』BGMにしたい映画。

 

いわゆるハリウッド映画やメジャーな日本映画好きには、とうてい受け入れられない両作品。

欧州映画好きなら受け入れられるかも?という気もしないではない・・・

というか最近の日本映画は面白い映画が増えました✨

(ハリウッドも往年の日本映画も希望のあった世界には必要だったのかもしれない今でも子供達にはピーターパンが必要なように)

 

昭和中期のザ・映画スターというような俳優がいないのが現在だけれど

映画としては今の映画人のほうが熱量がある。

 

成田凌を知ったおかげで短い間にかなりの現代日本映画を見た。

そこから逆算的に『ニワトリ★スター』『ニワトリ☆フェニックス』を見た感想。

 

逆算的というのはいろいろ映画を見て、それから両作品を見直しての感想なので。

「Fuck the title」「Fuck the story」これに尽きる映画です。

 

これらの作品は、かなた狼監督・脚本で井浦新・成田凌主演。

井浦新演ずる草太と成田凌演ずる楽太を中心に物語は進みます。

 

一言でいうと胸糞悪さマックスの『ニワトリ★スター』は生きる意味を突き付けてくる

映画でした。

そして成田凌の映画やドラマをほぼ網羅した時点で彼の作品の中で最高の演技を見せつけられた映画でもありました。

井浦新という役者としての素晴らしさも同時に認識した作品であり、映画の表現方法という意味で気づきも与えられた映画でした。

 

『ニワトリ☆フェニックス』は前作の救済の映画であり監督が映画のエンターテイメント性を追求した映画でもあったと思います。

 

どちらにも出演されている奥田瑛二(草太の父親でもあり続編では映画スター)の台詞

「会いたい人に会うために生まれてきた」これが全てのファンタジー映画。

 

niwatoristar.com

 

niwatoriphoenix.com

 

そこでしか生きられない人たちがいる現実『ニワトリ★スター』の演出は過剰か?

 

この映画はチンピラにもなりきれない中途半端な二人、薬の売人、草太(井浦新)とモラルが欠如しているとしか思えない楽太(成田凌)が生きる世界を描きながら現実はもっとグロかも・・・そしてそこでしか生きられない人々がリアルにいるという現実に目を向けさせる。

 

映画前半の無節操なファックシーンやバイオレンスシーンと打って変る後半のお涙頂戴シーンは一度目の視聴の時に違和感しかありませんでした。

 

 

映画評価サイトを読んだので、見たくない作品でしたが読んだおかげでバイオレンスやファックシーンを心して見ることができました(≧▽≦)

 

実は個人的にかなた狼のような映画手法が苦手でした。

映像の中にアニメとかCGとか織り込む手法が。

この作品のアニメ担当が相当有名米国人でハリウッド映画も担当している方だからなのか、あか抜けてアンディー・ウォーホル的ポップさも感じられ受け入れられました。

 

内容を考えるとアニメやCGは必要だったんだと思います。

バイオレンスやファックシーンはそれでカモフラージュされていたので。

とっぱじめのLiLiCoさんの体当たり演技はCGでも良かったかも(≧▽≦)

後に「伝説のチャンピオン事件」と呼ばれるエロエロシーンですが、

あんな事を平気でする楽太に後半、感動を覚えるとは思いもしなかった。

 

ドラッグ・セックス・バイオレンスを描いた画期的な映画1996年ダニー・ボイル監督作品ユアン・マグレガー主演『トレインスポッティング』を思い描いた視聴者も多く、それも納得。

(ダニー・ボイルは『スラムドッグ💲ミリオネア』の監督です)

台詞にすんごい頻度で「ファック」が入る。。。

快楽的な状況と現実の悲惨の落差がトレインスポッティングの衝撃でした。

 

最近の日本映画(若い俳優さんが多い映画)はとにかくエロシーンが不必要に多いので

トレインスポッティングのようにエロシーンを入れれば逆に「描いてる」映画だと勘違いしているのでは?と思っちゃいます。

まあおかげでエロ耐性が付き過ぎました(≧▽≦)

もはや喜劇でしかない。

 

団塊の世代の女性文化人や男性作家のように、それをタブー視しないのが

人間としての自由だと勘違いしそのような言動が”新しい”と今でも古い観念にとらわれているような喜劇性と近い。

 

私などは頭が悪すぎて「時計仕掛けのオレンジ」の良さがいまだにわからない。

しかし50年も前に描かれたバイオレンス・セックス・抽象的な映像・・・今でも「新しい」事の基準になっている気もする。

 

抽象論に行ってしまった(-_-;)
ニワトリ★スターに話を戻します('◇')ゞ

 

生まれて死ぬまで満足度100%なんて人はいるのでしょうか?

そして生まれて死ぬまで快楽100%の中に浸り現実を見ないですむなら

幸福なのかもしれません。

しかしトレインスポッティングでも、この作品でも破綻は必ず来る。

 

トレインスポッティングで描かれていた誰の子かもわからない乳児がネグレクトの末、

餓死している状況は今の日本でも年に何度もニュースで知らされる現実。

楽太はそのような子として生を受けたのだと思います。

男に虐待される母親とその母親から守ってもらえなかった幼少期。

 

 

ニワトリ★スターで監督も語っておられましたが現実のほうがもっと目を覆うバイオレンスが多い、それをお花畑的に描いてよいのか?(というようなことでした)

北野武作品もそこなのかもな~

ファックシーンなども現実にもっとエゲつない事件や事件にならない事も多いのかもしれない。

 

しかし、その中で、そのような環境しか与えられなかった人間というのは確かに存在しているのだろう。

全く個人的には交わらない世界だけれど、だからといって誇張だとは思わない。

 

ステイタスの分断という事では岨手由貴子監督、門脇麦主演『あの子は貴族』でも

描かれている通りだ。

松濤のお屋敷に住んでいる方々に知り合いはいないけれど連れ子の殺人というような

階層にも知り合いはいない。

 

しかし現実に存在している。

 

「前半は胸糞悪い映画からの~後半お涙頂戴」と書きました。

 

沖縄で育った楽太は幼馴染でずーっと好きだった(まさに純愛)女性(月海”つきみ”)

と東京で偶然に出会いヤクザの子を産み育て自分もドラック漬けの彼女とまっとうな家庭を築くことを願い堅気の職業を探すが結局ヤクザの手下のような仕事をすることに

なり、そこからがお涙頂戴なのだけれど、これは必要だったと今は思う。

家族というものが分からないからこそ楽太は家族を作りたかった。

なによりも月海がドラッグをやり子供をネグレクトしている姿に自分を重ね

救いたかったのだと思います。

 

もっとそこに焦点を当てて深く描くこともできたと思うけれどそこがファック・ザ・ストーリー。

 

楽太は頭が悪い。

必死で仕事を探すけれど楽太の中で一般の常識が働かない。

が、彼は必死だ。

 

ここからの結局ヤクザにいいように使われる楽太、ヤクザに向かって真っ当な仕事を紹介してほしいと懇願する楽太を成田凌以外だれが演じられただろうか???

震えている・・・涙目だ・・・必死だ・・・

 

草太に誕生日プレゼントを買い電話する楽太の姿を、結局真っ当になれず泣きながら傘を投げ捨てる楽太を誰が演じられただろうか???

草太は大阪に戻り両親と共に平和にお好み焼き屋をやっているのだ。

 

楽太はこの世に草太に出会うために生まれてきたのだ。

草太もそうだ。

という事が続編の『ニワトリ☆フェニックス』を見てなおさら感じたことでした。

 

作品の中で草太と楽太の住んでいたアパート。

これ大阪に実在するのねΣ( ̄□ ̄|||)

 



まあ鳥肌実が演じる自称・神様の登場で危機一髪を逃れるのだが、

そこはファンタジー*1

(鳥肌実は凄いです!)

 

ニワトリは飛べない。

スターになんかなれない。

しかし星の王子様のように楽太は草太の星になった。

 

従来の映画を踏襲することなく受け手に作品に流れている大事な事を

汲み取る力を要する映画ともいえるのかもしれません。

これは賛否両論でしょう。

受け手の力を期待せず単純に楽しめる映画が理想かもしれないしね。。。

 

神様に草太が祈ったのだからそうなった『ニワトリ☆フェニックス』

 

前作とニワトリ☆フェニックスはパラレルワールドだといわれている。

 

スターになったニワトリがフェニックスとして生まれ変わった。

こちらは伊勢志摩が舞台のロードムービー。

 

人生、後がない感じの楽太と草太が旅に出る話。

 

これがBGMにしたいくらいの映画なのだ。

「M」はメディアという意味で。

 

本当にこの2人のかけあいが自然で見てる私をほのぼのさせてくれる。

幼馴染というには無理がある年齢差にみえるが。

前作の井浦新と奥田瑛二も親子に見えなかったけれど。

 

 

これは草太が神様にお願いしたので叶った世界だそうだ。

「楽太にいろいろな物を見せたかった」という思い。

 

伊勢志摩の素人住民が登場するのもほほえましい。

かと思えばカオスな人々や映像も登場するけれど、それも面白いファンタジーなので。

 

おそらく草太と楽太バージョン「インディージョーンズ」なのだ。

 

農民ラッパーとか不気味な居酒屋とか。

 

 

彼らも前作と同じ。

なんじゃこりゃ!の世界の彼らの優しさを前作最終場面で感じたので

素直に笑えた。

 

全体を通して二人の場面はしゃれた70年代アメリカ映画のようにお洒落な

映像だったのでBGMにしたいと思った。

 

高良健吾が両作品ともに最後のシーンで意外なチョイ役でうけた(≧▽≦)

やくざ役の津田寛治さんはヤクザとしての存在感が凄いです。

その津田さんも・・・今作では・・・ハッピーエンド。

 

草太は、こういう風景を自分の人生が変わっても楽太に見せたかったんですね。

主要な登場人物が全て浄化された作品でした。

 

井浦新はニワトリ★スターで大阪出身として描かれており、東京人の

私すら関西弁の違和感を感じていたので(それはかなり惜しいことでした)

こちらでは標準語にもどり最後まで安心して見られました(≧▽≦)

 

「人は生まれてくる前に神サンに”君の運命はこうなって、いついつに死ぬ”っていう事を知らされて、それでも会いに行きたい人がおるか?ってきかれて、”はい”って言うたヤツがこの世に生まれてくるんやて。ほんでこの世に生まれてきたらその記憶がなくなるんやて。」

 

楽太は不幸でしか無い運命を知っても草太に遭うために生まれてきたんだね。

*1:´∀`

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