前回、オシャレする事に(ファッションなど)それほど関心がないのは何故なんだろう?というような事を書いたけど分かった💡
私は自他ともに認めるズボラだからだ💡
ズボラとオシャレって共存しないのよ✌
すっきりしたので、次!!!
土用の丑の日に鰻を食べていない。
昨今、鰻なんて食べ物は気軽に「今日のお昼は鰻~💕」なんていえるような
価格帯ではない。
で、最近、多く出回っている通称トロ茄子のステーキを食べて思いついた💡
これ、丼にして山椒かければ鰻丼じゃない?と💡
関西風だとかなり食感が違うかもだけど関東風だとかなり近い✌
茄子は油を吸い過ぎるので、必ず塩水に晒すというひと手間を昨年から実施している。
カリフォルニアロールの為に、鰻のタレを買っていた物を使用。
鰻のタレじゃなく味醂とお醤油で全く問題は無いけれど。
茄子とご飯の間には海苔。
そして良い仕事をするのが、出前についてくるインスタントお吸い物💕
このお吸い物と食べると鰻丼感が50パーセント増す💕
貧乏人のキャビアという茄子を使ったお料理があるので、それにあやかって
貧乏人のうな丼(≧▽≦)
唐突ですが、子供の頃の夏スイーツといえば何を思い浮かべますか???
サンプル数が少なすぎるのですが「牛乳寒天」って子供の頃、母親が作ってくた
懐かしいスイーツなんだそうです。
私はこの年齢まで牛乳寒天というものを食べた事も、食べたいと思ったことも
ありませんでした・・・
とあるお店で友達がかんてんぱぱというブランドの牛乳寒天を見つけ、
3袋入りの1つをくれたのでした。
全く魅力を感じない私は「いらないよ~」と辞退したのですが、
結局、受け取り作ってみると案外美味しいΣ( ̄□ ̄|||)
とても素朴なしみじみ~っとした美味しさで、母の味っていうのが
分かるような昭和な味。
で、息子にその話をすると「牛乳寒天って気になっていたんだよ~」とΣ( ̄□ ̄|||)
あんみつ風にしてみましたが、一番のお気に入りはコーヒーゼリーに
トッピングして食べる事✌
で、子供の頃の夏のおやつを思い出してみました🍉
母は寒天を使用したおやつを作ってくれたことはなかった・・・
せいぜい溶かして冷やすだけのインスタントゼリーとかプリン(インスタント)くらい。
昔の寒天は棒状で手間がかかるからだと思う。
まめに手作りおやつが登場する家庭ではありませんでした。
昭和の小学生くらいの時代って高度成長時代で、平サラリーマンだった
父でも盆暮れのお届け物が多い時代でした。(ゆるかったのよ付け届け物に)
夏ならお素麵などが多いのですが、その中にプリン、ババロアなどの缶詰詰め合わせなどがありました🍮
和なら水ようかんの缶詰詰め合わせ。
今は想像できないでしょうが1人前づつ小さな缶詰になっていたのです🍮
あれが好きだったな~
夏冬関係なく届くクッキーといえば泉屋。
これは嫌いだったな~スパイスの香りが今でも好きじゃない。
手作りより洋菓子店で市販品を買う母でした・・・
そんなことを思い出していると、昔ってアイスクリームが少なかったことを
想い出しました💡
外ではソフトクリームを夏は食べましたが(専門店で)フツーのお店に売っていたのは
アイスクリームより氷菓が多かった記憶。
中でも好きだったのはパインの形をしたアイス。
メロンの器に入ったアイスやゴムボールに入ったミルクアイス(通称おっぱい)などなど全て氷菓だったと思う。
そんな時代に画期的に登場し憧れたのは「宝石箱」✨
人気ドラマの「奥様は18歳」の主役だった岡崎友紀さんがCMされていたと思う。
その次に初めての高級アイス、レディー・ボーデン✨
この辺りからアイスクリームが主流になったんじゃないかな~
奥深い記憶の部屋を開けてくれた牛乳寒天ありがとう(≧▽≦)
友達のご贔屓かんてんぱぱの牛乳寒天がこれ↓
で、かんてんぱぱファンの友達絶賛ポーションハチミツはこちら↓
ポーションのハチミツは珍しいのでとっても良いのよ~との事でした。
長野では知らない人のいない、かんてんぱぱ・・・こちらには店舗が
ないんだよな~
成城石井とかカルディに少しだけあるって感じだもんな~
かんてんぱぱご贔屓友達が数年前まで転勤で住んでいた福岡にはショップがあったんだって~
東京は初台か・・・遠い(-_-;)