ニューオリンズはアフリカからこの地に連れてこられた黒人たちの民間信仰ヴードゥー教の影響もありゴースト・ツアーが人気。
というかサンフランシスコなどもその手のツアーが人気だけど。
サンフランシスコはヒッピー文化なのでヴードゥーと親和性が高いですもんね。
ゾンビってヴードゥー発祥なんだって。
で、ホーマスハウスのサイトを読むと、なんとここも幽霊屋敷として有名なんだって~(@_@)(@_@)(@_@)
芝、花々、木々が醸し出す穏やかな印象のホーマス・ハウス&ガーデン。
ありとあらゆる(人間だけではなく、動物、生物)彫像が独特の雰囲気を作ってはいたけれど・・・
この氾濫する彫像もこの屋敷やアメリカの歴史と関係があったとは
この時に知るはずもなく。
今は平和な庭園💖
日本風庭園にはハマナスも・・・
散策してかなり目につくのはこのような木の幹に埋め込んである??
不気味な悪魔っぽいなにか・・・
巨大な樫木には精霊がやどっていると今でも信じられているホーマスプランテーション。
むかし、むかし、このお屋敷が出来た頃、オークの木々は
「ジェントルマン」と呼ばれていたそうだ。
ジェントルマンと呼ばれるオークがお互いに手を繋いでいるようだと。
その昔、今のお屋敷からミシシッピ川までオークの並木道が続いていたそうだ。
まさにオークアレイの並木道のようだったのでしょう。
「完璧な形で雄々しく立ち並ぶ木々は、腕を組んで枝を広げリバーロードからこの館を訪れる人々を歓迎した」とあります。
(オークアレイの並木道)
1800年代後半にこの館の主人だったジョン・バーンサイドはこの巨大な木の番人を「ジェントルマン」と呼び愛情を注ぎました。
1927年にアメリカ史上最悪の災害の一つ、ミシシッピ大洪水が起こりました。
数十万人が避難し250名が亡くなった災害です。
浸水で一番深い所は9mにも及び2か月間水は引かなかったそうです。
犠牲者の殆どはリバーサイドの低地に住んでいた黒人労働者でした。
(2005年ニューオリンズを襲ったハリケーン、カトリーナでも被害者の殆どは貧しい黒人たちでした)
この洪水でも高台にあるホーマス・ハウスは助かったそうです。
大洪水の2年後に世界大恐慌が起こり、この2つの出来事でアメリカでは
ニューディール政策の下、大量の失業者を雇用し公共政策を推進する
WPAという組織ができ、この組織によってミシシッピに堤防が築かれました。
その堤防工事の時に、このジェントルマン達は次々に切り倒されていきました。
川から大邸宅に向かってどんどん切り倒されたのです。
その大木を川下のニューオリンズまで流し、大儲けをたくらむ者もいました。
儲けをたくらんだ16名は水没し死体は発見されませんでした。
その事故から1週間もたたないある夜、残っていたジェントルマン達は頭を下げ、
手足を垂らし悲しみと苦しみのグロテスクな彫像に変身してしまいました。
今でもこの巨大なオークに精霊が宿っていると信じられています。
La Petite Fille 青いドレスを着た少女の話し。
ホーマスハウスは2003年にケビン・ケリー氏が購入するまで観光客も
遠ざかり荒れ放題だったそうです。
かつてシュガーパレスと呼ばれた姿からは程遠く、ケビン氏によって改修が行われ、
今のように往年の輝きを取り戻しました。
その工事の途中に青いドレスを着た栗色の髪、黒い瞳を持つ小さな女の子を
見かけたと作業員から報告が入ります。
電気工事中のホールに現れたので子供には危険と探し回りましたが見つかりません。
そうこうしているうちに邸宅に観光客が戻って来て、その少女の事も忘れられましたが、ツアーガイドやゲストから青い服の少女がしばしば目撃されるようになりました。
午前や午後の遅い時間に目撃されるそうです。
その少女の候補は2名いて一人はジョン・プレストン大佐の娘ではと言われています。
1848年、大佐の可愛らしく陽気で使用人の誰からも愛された娘は重い病に倒れ、
その後一家はサウスカロライナのコロンビアに移住。
そこで娘は亡くなり一家はホーマスハウスに戻る事は無かったが、
愛するホーマスハウスに魂となって娘は戻ったという説。
そしてもう一人は1900年代、マイルズ大佐の娘が7歳で亡くなりました。
ニューオリンズの観光名所にもなっている豪華墓地に埋葬されましたが
1927年の大洪水で墓地も遺骨もろとも流され未だに見つかっていません。
その女の子だという説。
かなり多くのガイドやゲストが目撃しているそうです。
邸宅ツアーに参加しなかったので、残念ながら目撃していません・・・
いろいろな魅力に溢れているプランテーション・ハウス✨
オバケに会いたい方も・・・
数々のアンティークがお好きな方も・・・
よくわからない彫像を見たい方も・・・
南部に行ったらぜひプランテーションを訪れてみてください♪