新Y’sクロニクル

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歴史上最重要ポイントなのによくわからないビザンティン帝国とギリシャ正教のお勉強その1

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若きトルコの皇帝によるビザンティン帝国の都コンスタンティノープル陥落を描いたNetflix「オスマン帝国」を見て以来、世界史で必ず習うビザンティンとかギリシャ正教とか考えれば考えるほどわからないという事に気がついた💦

 

そこで国内にいる家族3名にアンケート。

2名は受験で世界史選択。(因みに私は日本史を選択)


まったく世界史に興味のない世界史を選択した夫は「聞いた事はあるな~」程度( ;∀;)


中高と学校での世界史の授業も楽しく受験も世界史選択のお嬢その2は

「そういわれるとビザンティンって曖昧かも?」

 

受験に社会科が必須ではなかったらしいお嬢その1は、

「割ったタイルで作る美術のイメージしかない」( ;∀;)

 

我が家族のレベルに疑問は残るものの、おそらく日本の大多数はビザンティンの

すえ方はこの程度なんだと思う。

ギリシャ正教に至ってはいわずものがな。

 

このような結果と自分自身の疑問を少しでも解消すべく、

ドラマを見て以来、数々の本を読み漁り辿り着いたビザンティンとギリシャ正教に

ついての忘備録。

 

読み漁って辿り着いた事は、ビザンティン帝国(東ローマ)成立と共に

中世という括りに入ったこの時代は今の世界史、西洋史の主役である

ヨーロッパが出来上がった過程であるということ!

言い換えればローマ=キリスト教=ヨーロッパという仕組みが

動き出したということ!

 

あくまでも「わたし個人の捉え方、理解の仕方」なのでご容赦をm(__)m

 

世界史史上なぜビザンティン帝国が最重要ポイントの1つなのか?

 

現在の欧米や日本の法律ならばナポレオン法典が
大きな影響を及ぼしていますがその根底にローマ法があります。

また欧米の倫理観の根底にはキリスト教思想があり現代社会システムを

遡れはローマ帝国やキリスト教に必ず行きつきます。

 

そのローマ帝国の最後の都がコンスタンティノープルです。

世界史では便宜上「東ローマ帝国」と呼びますがそこはビザンティンの国なわけです。

 

ローマに帝国唯一の都がありつづけたローマ帝国時代を古代と呼ぶならば、

東ローマ帝国の都をコンスタンティノープルとした時から歴史は古代から

中世に変り、コンスタンティノープルが陥落した時期に中世も終焉したのです。

 

ヨーロッパにおいて中世はおおよそ1千年間も続き、ルネサンス、宗教改革、

大航海時代などの近世へとつながり、おそらく国家という概念もこの時期に

生まれたのではないか?と考えています。

 

その後の近代はフランス革命や産業革命から始まり第二次世界大戦まで続き

現代へとつながってきたのです。

 

このように世界史を古代・中世・近世・近代・現代と5うに分けるならば

ビザンティン帝国の時代は世界史の5分の1を占める重要な時代で

それはたった一つの都市の歴史だということになります。

 

古代と近世を結ぶ大事な中世という時期を担ったビザンティン帝国。

 

それ以降はヨーロッパの各新興国に覇権が移りました。

 

1千年もの間、中世社会に影響を与え続けた帝国でありながら、

なぜにこんなに薄い知識しか我々は持ち合わせていないのか?

 

おそらくそれは日本という国が明治以降取り入れたのは西洋史観だと

いうことが大きいと思います。

 

おなじローマ帝国と名乗ってもビザンティンの国それはギリシャ人の国であり、

オリエントの文化が多様に混じったヘレニズムと呼ばれる文化圏です。

 

もちろん西洋文明はギリシャ=ローマ文明が根底だという

自負があるでしょう。

しかし、そこにオリエント文明が入り込んでいるビザンティンという文化は

西洋史において肩入れできないのかもしれません。

 

なので日本人が習う世界史は西洋史観であり、ビザンティン文化圏からの視点から

語られるものではなく日本に至ってはかなり軽視されているのかもと思っています。

 

またギリシャというと私はアテネ、ギリシャ神話を思い浮かべますが、

これがまたビザンティン、そしてギリシャ正教を曖昧なものにしている

原因なのかもと思っています。

 

 近世以前は断然オリエントが先進国、今のヨーロッパの大部分は野蛮民族の集まりという事実。

 

 中学生くらいで初めて「ゲルマン民族の大移動」を習った頃、

私の頭の中には「はじめ人間ギャートルズ」のビジュアルがありました。

毛皮をまとい、生肉を刺した棒を背負ったヒゲぼうぼうの原始人が

大挙として家族を連れてローマ帝国内に侵入してきたというイメージでした。

 

原始人はマンモスの時代なのに、時代考察がめちゃくちゃだった頃は

その程度の認識だったのです。

 

ギャートルズとビザンチンやギリシャ正教な~んの関係もないじゃん😡」

 

いやいや、ここから始めないとビザンチン、ギリシャ正教は理解できないんですね~

(-。-)y-゜゜゜

 

ローマ帝国の都をコンスタンティノープルに遷都した頃から中世が

始まったとすると「ゲルマン民族の大移動」が中世をもたらしたとも言えるんですね~

 

今あるヨーロッパの主要な国々は彼らを先祖としているのですから。

 

ゲルマン民族=蛮族と呼ばれるようになったのは紀元前から文明が発達していた

オリエントやギリシャ、イタリア地域に定住していたラテン民族から見れば

知的な部分は皆無でただただ野蛮な群れということだったのでしょう。

 

その野蛮な集団がやがてローマ式の作法を見につけローマ市民になり、

キリスト教化し9世紀頃にシャルルマーニュ(カール大帝)という

蛮族出身の後に初代神聖ローマ帝国皇帝の出現によって現在のドイツ、

フランス、オランダ、ベルギー、スイスなどなどのヨーロッパが誕生し

今の世界史観は始まったのです。

 

中世の中頃くらいまで(7,8世紀頃とか)世界はローマ帝国(すでに

西ローマは無きに等しく東ローマ帝国だとしても)と今のバルカン半島

以東の中東、北アフリカが高度な文明、文化を持った国という認識といっても過言ではないでしょう。

 

もちろん中国はこの頃、隋や唐の時代ですから立派な文明を持った国でした。

ただ西洋史観からは、遠すぎてまだまだ歴史の主要な部分はになっておりません。

(ゲルマン民族の大移動をせざるを得なかったのは中国に侵入した匈奴の一派

フン族に追われて・・・という事もあります)

 

古代、中世初期のヨーロッパは、例えば「ガリア戦記」で有名な

カエサルがローマ帝国の領土拡張のためポー川を渡り「ガリア民族がいるぞー」

とかアルプスを越え「パリシー族がいるぞ~」と次々とケルト人を始祖とする

ローマ人以外の未開の民族を見つけては属州に組み込むという活動の結果、

歴史に足跡を付け始めたのです。

 

なので現在のヨーロッパの国々の首都はローマ帝国時代にローマによって

造られた街がほとんどです。

フランスのリヨンはガリアでありいち早くローマによって街づくりが

始まりました。

首都であるパリはパリシー族の土地という意味でリヨンなどの南仏から

見ると未開の土地だったわけです。

南仏の「プロバンス地方」はラテン語の「provincia」からきているのは

有名ですね✨(ラテン語はイタリア(ローマ)の言語です)

 

このようにどんな野蛮な民族がいるのかもわからないまま、

かつてのローマ皇帝達は今のドイツの北やスコットランドまで

進撃して行ったのですから勇敢さは半端じゃありません💦

 

古代から中世初期のヨーロッパはそのような状態だったので、

五賢帝の時代が終焉を迎えローマ帝国が分裂し、最終的に

ギリシャ人の土地ビザンティン(コンスタンティノープル)に

ローマ帝国の最後の都を置いたのも無理はありませんでした。

 

というのもギリシャ世界こそがキリスト教徒の絶対多数が

住んでいた土地だったからです。

 

いま、キリスト教というと欧米の宗教というイメージがあります。

またローマ帝国がキリスト教国家というイメージもあります。

ヨーロッパの有名画家によるキリスト教の宗教画は

ヨーロッパ=キリスト教世界という構図を植え付けたのだと思います。

 

しかし中世中期までは、ヨーロッパの民族はほぼ多神教でした。

ローマ帝国(イタリア中心の)も多神教でした。

コンスタンティノープルに都を移したコンスタンティヌス帝の登場までは

ローマですらキリスト教徒はごく少数だったのです。

 

その時代、キリスト教徒の多くはギリシャや今の中東、アフリカに

多く住んでいたのです。

 

子供の頃、キリストの生誕物語で「東方の博士」が登場しますが、

キリスト教=欧米と漠然と考えていた幼い頭に「なぜに東方???」との

思いが強かったことを思い出します。

イエスはユダヤ人だったことを知っていたとしても・・・

 

しかしながら、そのキリスト教=欧米のイメージがビザンティンやギリシャ正教

をあやふやなものにしているのかも知れません。

 

おそらくキリスト教無くしてはヨーロッパは無かったかも?

乱読の中に手元にあった塩野七生さんの「ローマ人の物語」の何巻目かを

読んでいて、ここまでキリスト教が世界史において重要なのはなんでだろう?

という疑問の答えを見つけた💡

 

日本や今のヨーロッパの国々は多神教でした。

多神教の神々は農耕民族に特に人気の神様です。

主に農耕に関して人間の助けになっていました。

 

天候に恵まれなければ太陽の神様に祈って日差しを取り戻しました。

乾季が続き作物が枯れれば雨を降らす神様に祈ります。

 

森の木々には花を咲かせたり果実を実らせる妖精がいました。

妖精は神と人間の中間的な存在ですから木々の神様の使い手が

豊かな森の番人だったのでしょう。

 

そのように多神教は人間の生活の各所にあらわれ手助けをしてくれます。

日本には「便所の神様」までいらっしゃるそうですから( *´艸`)

 

しかしキリスト教をはじめとする一神教の神様は人間の要望に

そのつど答えてくれる神様というよりは、

人間がいかに生きるべきかという、いうなればお節介にも「生き方」を

決める神様なのです。

 

おそらくですが多神教には無い「真理」という言葉が生まれてきます。

神様=真理なのですから、神様のいうとおりに生活し生きなければなりません。

多神教の神様は人間の生き方にまでは口出しはしない、ただ手助けをしてくれる

神様です。

 

でも~神様って見えませんよね?

真理を伺おうにも声も聞こえませんよね?

 

そこで登場するのがキリスト教の司祭という役割です。

神様の言葉を聞いて一般ピーポーの私たちに通訳してくれるわけです。

 

国を統治する際にも、人間の言葉では信用できません。

それが神様が託した人物がトップにつけば、そのトップは絶対的に真理なのですから、

一般ピーポーは従わざるを得ません。

 

キリスト教という一神教が五賢帝以降の求心力を失ったローマ帝国の

国教となったのも、その辺りに理由がありそうです。

 

世界史に必須の「ニケーア公会議」「ミラノ勅令」がなぜに必須で

大事だったのかが、いまさら理解出来ました💦(ウン十年遅いわ😠)

 

そして蛮族だらけのヨーロッパという広大な土地がキリスト教を

受け入れ今の世界のシステムを作ってきました。

 

という事で次回はビザンティン帝国とキリスト教をもっと深く

考えていこうと思っています。