ハッピーハロウィン🎃🎃🎃
最初の写真は2017年の秋にオックスフォードを訪れた時、ケーキショップの
ウインドウに飾られていたチョコレートケーキ🍰
LINEで「ハロウィン」と入力すると画面がハロウィン仕様になるのが
面白くて無関係に「ハロウィン」と入力する昨今(≧▽≦)
今日はそんなハロウィンとは全く無関係なトリックだらけの日本の政治について。
正直いって普段はあまり政治関係に、そうそう関心があるわけではない( *´艸`)
フツー程度には考えたりするわけよ。(フツーが分からんの~)
ただ昨今の「日本学術会議会員任命拒否」に対する菅首相のそっけない
説明・・・説明は無かったことについては「おかしいだろう!」と思っている。
もうさ、これだけではないからね、前政権のあらゆる問題でも説明らしい、
説明がなされぬまま問題が無い事にされてきた経緯を眺めていると、
やはり民主主義の国か?日本は???と思わざるを得ないのであ~る😡
それぞれの問題についての是非はさておき、「是」とした根拠の
説明は絶対的に必要だよな~(-。-)y-゜゜゜
今回の「日本学術会議会員任命拒否」問題について学術会議の意義とか
会員が相応しいとかないとかではなく、その資質について政治が介入し
その判断の説明がなされないという点においてのみおかしいと思うのだ。
学術会議がどうか?というのは別の問題だと思うので、そこは考えません( *´艸`)
前政権から続いている、きちんとした説明なしに、あらゆる問題が正当化
されるのっておかしくない?
独裁政治と変わらないじゃんと思うんだけど・・・
そんな独裁的な政党が政権を執っているけれど、それに対抗できる野党が
皆無という点が問題だよな~
まあ、そういう点は置いといて、思うに日本は儒教思想に思いのほか
ズボッと浸っている国民だったのだな~と思うんだよね。。。
ビザンティン帝国とキリスト教から興味は日本民族にも広がって。
「オスマン帝国」というドラマを見てビザンティン帝国とギリシャ正教に
興味を持って以来、いろいろな歴史書や宗教に関する本などを読んでいる。
ビザンティンについてはある程度、理解できた。
ギリシャ正教についてもある程度、理解できた。
今興味があるのはヨーロッパ社会の成立で、とくに深くかかわるローマ帝国の影響と
「ローマ教皇はなぜにあれだけの権力を持つに至ったか?」なのだ。
そこから最近は教育の歴史にまで興味が広がって収拾がつかなくなっている(*ノωノ)
その中で民族とか国とか統治形式とか、それらが現代にどう影響しているかを
思わずにいられないのは、グローバル化に取り残されていく日本の問題とか
この新コロナウイルス登場で浮かび上がってきた日本人の特質とかなのだ。
歴史は退化するって事を見つけた歴史家がいた。
一般的に歴史区分は古代~中世~近世~現代と分けられている。
17、8世紀くらいにフランスの歴史学者が区分を研究していた時に、
歴史が新しくなるにつれ人間社会は進歩しているだろうという考えが
間違いだと知って驚いた・・・という事を知った。
古代に区分されるローマ帝国の政治のシステムを研究するとその当時の
世界より進んでいたからだ。
そのローマ帝国の政治システム(統治システム?)は現代よりよほど民主的で
フランス人学者よりも300年後に生きている私ですら現代の日本の政治の
遅れに対して愕然としてしまう。
前政権の問題の一つに「官僚の忖度」があった。
官僚=公務員は政権の為に働くのではなく、国民の為に働くのだという当たり前のことが当たり前に機能していない。
その当たり前のことをしようとした公務員が自殺しなければならない状況に追い込まれてしまった。
政権の間違いを指摘すれば苦しい立場に追い込まれてしまう現実。
遡る事2000年以上前のイタリア・・・ローマ帝国は権力を一つに集中させないために、
そして権力が権力の為に使われないように「護民制度」があった。
護民官(トリビューン)が平民から選ばれ貴族階級で構成されていた元老院の決定に拒否権を持っていました。
今でも新聞名に「tribune(トリビューン)」がありますが英語で「人権擁護」の
意味になります。
護民官は平民のみが職につけましたが平民を「 plēbis(プレブス)」と言います。
おそらく英語の「press(圧力)」の語源になっているのかなとも思います。
護民官はいまでいえば官僚の立場で権力者の方針に対して牽制・・・意見を
申し立てるために作られた職でした。
めちゃくちゃ民主的だと思いませんか?
また情報公開は紀元前59年執政官に就任したカエサルが第一に決定した事でした。
元老院の議事録などを公開する制度を制定したのです(@_@)
このような事で権力者が勝手に権力を使うことをけん制しました。
日本では現代に至るまで「記録する」ということが軽く扱われてきました。
ローマ社会では説明しない・・・無言は暴力という捉え方をするそうです。
日本で「批判」は負のイメージですが欧米では「批判」は悪口とは違います。
ローマ皇帝が凱旋式で雄姿を見せるパレードでさえ、群衆からはその皇帝の
失策(勝利してさえです(@_@))のヤジを飛ばすことが当たり前だったようです。
民衆にはその権利が認められていたのです。
なんと民主的な社会でしょうか(@_@)(@_@)(@_@)
歴史を知れば知るほど、現代も知りたくなる💦
そんななか自分の中に浮かび上がってきたのが「儒教」
おそらく明治以降西洋化に急激に適応したように思えた日本人は
予想以上に「儒教」精神が抜けない事が政治や就労関係に悪いほうの
影響を及ぼしていそうだし、感染者に対する差別などの意識にも影響して
いそうだな~と感じている😢
神道も仏教も儒教を取り込んで日本人の精神に深くかかわっている???
日本は古来より神道が普及していました。
ただ神道が宗教といえるかどうかは微妙らしいです。
まず経典などがない・・・信仰とは言えても宗教とは違うのかもしれません。
聖徳太子の時代には仏教が伝来し日本の国家宗教は仏教というようなイメージもあります。
その仏教はインドから伝来したのではなく中国経由で、すでに儒教化した
仏教でした。
そして日本の神道のエッセンスも取り込まれて現代の私たちが考える
仏教となりました。
位牌は儒教の風習だそうです(@_@)
江戸時代には国学、朱子学を学ぶことが武士階級に奨励されましたが、
もちろん儒教からの発展形です。
儒教では皇帝が絶対的な権力を持ち臣下が楯突く事などありえない事でした。
皇帝は天命を受けているのだから絶対的存在でした。
皇帝が現れると臣下は土下座して拝礼します。
日本の時代劇でも主君に対して土下座の場面を見ることができます。
皇帝をトップとする政権がこの状態。
官吏は徹底して皇帝に従う事だけを教育されました。
一般民衆はこれと同じで先祖を非常に大切にします。
先祖の霊を大事にしたわけではなく年功序列、長幼の序が重要だったのです。
儒教は死後の世界は考えられないというか全く考えなかったのだそうです💦
仏教も人間は死んだらただの物質に返るという考え方です。
一般家庭では年長者の意見は絶対でした。
年長であるというだけで敬われなければならない存在でした。
今の様に少子化の時代ではない若年層が断然多かった時代、平均寿命も短かったので
年長者を支える層が多かった時代です。
このような何百年にもわたる思想が現代の日本にも当たり前のように
覆っているのだなと思います。
「長いものには巻かれろ」的で現代の政治にも、その思想から脱却している
気配すらありません。
批判は良くないのです。
なので権力のトップに立つ者に説明責任などという発想はないのは
不思議でもなんでもないのでしょうね・・・
北朝鮮が、なぜあのような社会でありながら民衆は耐えているのか?
との疑問も日本と同じ中華思想が根深い事に答えはありそうです。
そこが「日本は民主的な北朝鮮」と言われるゆえんかもしれません💦
このような日本と儒教的な思考の関係を考えると、
日本が変わるという事は今の幼児に徹底的な儒教的な思想を廃した
教育を行うしかありえないのではないか?という思いになりました。
ところで私はいわゆる「しらけ世代」と呼ばれた「無気力・無関心・無感動」
の三無主義世代です。
その私ですら今の政治には危惧を抱いてしまいます。
「しらけ世代」を調べたら驚いた事が(@_@)
この世代って幅広いのね・・・
70歳前後の人もそうらしい(@_@)
あの時代の人って団塊の世代で政治に熱い人達って捉えてた(@_@)